寺田政明

没年月日:1989/07/12
分野:, (洋)

 主体美術協会創立会員の洋画家寺田政明は、7月12日午後1時11分、呼吸不全のため東京都板橋区の板橋区医師会病院で死去した。享年77。本人の意志により告別式は行なわず、遺族と主体美術協会合同で、「寺田政明を偲ぶ会」が7月31日明治記念館で開催された。明治45年(1912)1月3日福岡県八幡市に生まれる。昭和2年九州画学院に入学し、この頃ゴッホやゴーギャン、ブレイクらの影響を受けた。本格的な絵の勉強のため上京を決意し、翌3年上京、小林萬吾の同舟舎絵画研究所に通う。次いで4年太平洋画会研究所(5年太平洋美術学校と改称)で学び、鶴岡政男松本竣介麻生三郎らを知る。7年第2回独立美術協会展に「風景B」が初入選、12年の同第7回展で「美しい季節」「街の憂鬱と花束」により協会賞を受賞した。また8年鶴岡政男らが結成したNOVA美術協会にも出品する。同8年豊島区長崎に住み、個性的な芸術家達が集まり「池袋モンパルナス」と呼ばれたこの地域で、古沢岩美靉光、小熊秀雄ら多くの画家、詩人と交遊する。11年麻生三郎吉井忠らとエコール・ド・東京を結成し、また同年前衛作家約80名により結成されたアヴァン・ガルド芸術クラブの発起人の一人となる。さらに、同11年池袋美術家クラブを設立。13年には、エコール・ド・東京を解散し、糸園和三郎古沢岩美らと創紀美術協会を結成(14年解散)。14年福沢一郎らと美術文化協会、18年には靉光麻生三郎らと新人画会を結成するなど、極めて精力的な活動を展開した。この間、昭和9年本郷団子坂の茶房りりおむで初の個展を開催して以来、たびたび個展を開催する。13年第8回独立美術展「魔術の創造」、同年の第1回創紀美術協会展「宇宙の生活」、14年第9回独立展「生物の創造」、15年第1回美術文化協会展「夜」、16年同第2回「発芽A」などのシュールレアリスティックな作品は、この時期を代表する作品である。戦後24年美術文化協会を脱退し、自由美術家協会に移る。また毎日新聞社主催美術団体連合展、読売新聞社主催日本アンデパンダン展、日本美術会主催日本アンデパンダン展、現代日本美術展、日本国際美術展、国際形象展などにも出品した。29年森芳雄吉井忠らとともに自由美術協会を退会し、新たに主体美術協会を結成、以後同展に出品した。45年には、吉井忠大野五郎糸園和三郎とともに4人で「樹展」を結成している。戦後の作品は、24年第3回美術団体連合展「黙思独歩」、26年「灯の中の対話」、29年第1回現代日本美術展「荒川堤へ沿う道」、41年「自画像」などがあり、晩年は小樽運河の連作や樹木シリーズなど、詩情と哀感の漂う作品を制作した。また文学者との交流も多く、尾崎士郎、檀一雄ほか、小説の挿絵や装幀も数多く手がけた。54年板橋区立美術館で寺田政明回顧展が開催されている。俳優寺田農は長男。

出 典:『日本美術年鑑』平成2年版(248頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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