(冒頭言)

記事番号:00866
年月:1945年00月

昭和二十年に入り空襲はいよいよ激化し戦争も最後的段階に至つて、美術界の動きは殆ど停止状態となつた。大部分の作家は勤労動員により、また罹災、疎開などにより活動を妨げられ、資材不足も頂点に達してまとまつた制作等は全く不可能となつた。僅かに年頭、美術推進隊主催の軍需生産美術展の開催をみた位で、展覧会も殆ど開かれず、ことに工芸品等は有閑品として省みられなかつた。また資材の封鎖により彫刻、建築等の分野も何ら注目すべきものがなかつた。 八月十五日終戦以後事態は一変したが、一般に精神的な低迷はまぬがれず、本年中には徐々に活動の萌しが見えてきたにすぎない。連合軍の進駐後まもなく美術報国会が解散となつて統制から解放され、文部省による新しい官展の立案、旧二科会の復活、行動美術協会の結成などが見られたが、いずれも具体的活動は翌年廻しとなり、僅かに小規模の展覧会が二三開かれたばかりであつた。

登録日: 2014年04月14日
更新日: 2020年12月11日 (更新履歴)
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