後藤清一

没年月日:1984/04/11
分野:, (彫)

 日展参与の彫刻家後藤清一は、4月11日午後6時45分老衰のため水戸市柳町の青柳病院で死去した。享年90。明治26(1893)年8月19日茨城県水戸市に生まれる。水戸市立三ノ丸高等小学校時代、1級上に木内克がいた。41年上京し遠縁にあたる牙彫家富岡周正に入門、牙彫を学び、大正3年の東京大正博覧会に「竜頭観音花瓶」(牙彫)が入選している。4年東京美術学校牙彫科選科に入学、翌年高村光雲に師事し木彫を始める。8年卒業し研究科に進むが翌年中退、仏教への傾倒を深め思想や仏像の研究を進める。10年美術学校時代の同級生清水三重三らと木牙会を結成、第1回展に「永遠の求道者」を出品する。この後山村暮鳥や小川芋銭、未だ水戸高校の生徒だった小林剛土方定一らを知る。昭和3年より清水三重三の勧めで構造社にも出品、翌4年第3回構造社展で「少女の顔」が構造賞を受賞した。5年同社会員となり、同年第4回構造社展「弥勒」、6年第5回展「悲母」など深い思索に支えられた内省的な作品を発表する。その後も構造社に「母子」(12年)「誕生仏」(15年)などを出品する一方、帝展、新文展にも出品する。戦後、21年第2回日展よりたびたび審査員をつとめ、25年参事、33年評議員、49年参与となる。この間35年第3回日展で「双樹」が文部大臣賞、39年第1回いばらき賞を受賞、また43年常磐学園短期大学教授、47年日本彫塑会名誉会員となる。主要作品は上記のほか「観世音菩薩」(18年第6回新文展)「笛の声」(29年第10回日展)。48年茨城県立美術博物館で「後藤清一彫刻展」が開催された。著書に青年時代からの断想を抄録した『陰者の片影』がある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和60年版(246頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「後藤清一」『日本美術年鑑』昭和60年版(246頁)
例)「後藤清一 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9939.html(閲覧日 2021-07-29)
to page top