藤懸静也
文化財専門審議会々長、国華社主幹、明治大学教授、文学博士藤懸静也は、8月5日前立腺肥大症のため東京逓信病院で逝去した。享年77歳。明治14年2月25日茨城県古河に生れた。第一高等学校を経て同43年東京帝国大学文科大学史学科国史科を卒業し、直ちに大学院に入つて日本美術史を専攻した。大正3年以来同大学文学部の副手をつとめるかたわら「国華」の編集をたすけた。また女子美術学校、日本大学の講師、国学院大学教授、帝室博物館学芸委員などを勤めた。昭和2年から翌年にわたり海外における日本美術史の資料調査、各国博物館の調査のため欧米を巡歴した。帰国後文部技師に任ぜられ、国宝鑑査官、国宝保存会幹事、同委員、重要美術品等調査委員会委員として国宝等の保存行政につくした。昭和9年東京帝国大学教授に任ぜられ、同16年定年で退官するまで後進の指導にあたつた。この間、昭和9年に文学榑士の学位を受けた。昭和20年瀧精一博士の後を継いで国華社主幹となり、「国華」編集の中心となつた。戦後、文化財専門審議会の設置と共に専門委員となり、晩年にはその会長をつとめた。また東京国立博物館評議員であつた。浮世絵版画を歴史的に系統づけた功績は大きく、多くの著書や論文がある。
略年譜
明治14年 2月25日茨城県古河に生る
明治43年 東京帝国大学文科大学史学科国史科卒業、大学院入学。
明治45年 女子美術学校講師を嘱託せらる
大正3年 東京帝国大学文学部副手を命ぜらる(東京帝国大学)
大正6年 国学院大学教授を命ぜらる
大正11年 日本大学講師を嘱託せらる
大正13年 願に依り東京帝国大学文学部嘱託を解かる(東京帝国大学)
美術史に関する事項調査を嘱託さる(同前)
史料編纂業務を嘱託さる(同前)
昭和2年 帝室博物館学芸委員を被仰付(宮内省)。東京帝室博物館勤務を命ぜらる(同前)
欧米諸国に於ける日本美術史に関する資料調査を嘱託さる(東京帝国大学)。欧米各国博物館調査を嘱託さる(帝室博物館)
4月2日欧米へ向け出発
昭和3年 3月29日帰国。6月文部技師に任ぜらる(総理大臣)。宗教局勤務を命ぜらる(内閣)
昭和4年 国宝保存会幹事被仰付(内閣)
昭和5年 国宝保存会幹事被免(内閣)
国宝保存会委員被仰付(同前)
依願免本官(内閣)。国宝保存会委員被仰付(同前)
昭和7年 御物調査委員会臨時委員を命ぜらる(宮内省)
昭和8年 重要美術品等調査委員会委員を依嘱さる(文部省)
昭和9年 任東京帝国大学教授、叙高等官3等(内閣)文学部美学美術史第2講座担任を命ず(文部省)。文学博士の学位を授けらる(東京帝国大学)
昭和15年 日本諸学振興委員会昭和14年度芸術学部臨時委員を嘱託さる(文部省)
美術振興調査会委員被仰付(内閣)
昭和16年 依願免本官、陞叙高等官1等(内閣)
昭和20年 国華杜主幹となる
昭和25年 文化財専門審議会専門委員を委嘱さる(文化財保護委員会)
昭和27年 文化財専門審議会専門委員を委嘱され、第1及び第2分科会所属を命ぜらる(同前)
昭和29年 文化財専門審議会尊門委員を委嘱され、第1及び第4分科会所属を命ぜらる(同前)
昭和32年 文化財専門審議会尊門委員を委嘱され、第1及び第4分科会所属を命ぜらる(同前)
昭和33年 8月5日逝去。8月8日青山葬儀所で告別式を行う
主要著書目録
浮世絵大家画集 大正4年 浮世絵研究会
浮世絵 大正13年 雄山閣
浮世絵の研究 昭和19年 雄山閣
増訂浮世絵 昭和21年 雄山閣
日本美術図説〔監修〕 昭和25年 朝日新聞社
浮世絵(アルス・グラフ) 昭和27年 アルス
Japanese wood-block prints 昭和25年 日本交通公社
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「藤懸静也」『日本美術年鑑』昭和34年版(152-153頁)
例)「藤懸静也 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8955.html(閲覧日 2024-12-05)
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- ■美術界年史(彙報)
- 1939年02月 日本文化大観編修会官制公布
- 1939年06月 日本諸学振興委員会芸術学部委員
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