楢崎宗重

没年月日:2001/07/18
分野:, (学)
読み:ならざきむねしげ

 浮世絵研究の第一人者で立正大学名誉教授の楢崎宗重は7月18日午後0時15分、心不全のため死去した。享年97。 1904(明治37)年6月26日、佐賀県唐津市の農家に生まれる。1927(昭和2)年旧制第五高等学校(現熊本大学)を卒業し、東京帝国大学文学部に入学。30年に同大学文学部美学美術史学科を卒業し、当時文部省宗教局に在籍していた藤懸静也の門に入る。32年より『浮世絵芸術』(大鳳閣)編集に携わり、36年には雑誌『浮世絵界』(浮世絵同好会)を創刊、当時未だ趣味的な分野と見られがちだった浮世絵に美術史研究の対象として取り組むとともに、多くの研究者に発表の場を提供し、研究のレベルアップを推進するという姿勢を終生貫くことになる。42年立正大学文学部講師に就任し、日本美術史を教える。45年、戦争で中断していた『国華』の、朝日新聞社による復刊にともないその実務を担当。46年日本浮世絵協会(第二次)を設立、常任理事を務める。同年に雑誌『浮世絵と版画』(渡邊木版美術画舗)を創刊。54年立正大学文学部教授に就任、「近世初期風俗画について」で文学博士号を取得する。60年日本風俗史学会副会長に就任。62年日本浮世絵協会(第三次)を設立、理事長、会長(82年より)として浮世絵研究と普及の両面で活発な活動を展開する。その範囲は海外にも及び、調査を基に72年『在外秘宝』(学習研究社)を刊行、同年浮世絵協会創立十周年を記念した「在外浮世絵名品展」を各地で開き、また東京での国際シンポジウム開催にも尽力した。77年立正大学教授を定年退官、名誉教授となる。同年勲四等旭日小綬章を受章。80年浮世絵専門美術館の草分けである太田記念美術館が開館し、名誉館長に就任。80~82年には多年の構想を経て、海外を含めた浮世絵界の総力を結集させた『原色浮世絵大百科事典』(大修館書店)を刊行する。80年第1回内山賞(内山晋米寿記念浮世絵奨励賞)受賞。1989(平成元)年青山学院女子短期大学図書館に蔵書を寄贈、“楢崎文庫”と命名される。94年東海道広重美術館の名誉館長に就任。95年研究の過程で集まった古美術品480点を東京都墨田区(北斎館)に寄贈。98年浮世絵協会が国際浮世絵学会と改めるにあたり、名誉会長に就任。没後の2001年11月には同学会が発行する『浮世絵芸術』141号で追悼号が編集され、各関係者の追悼文および稲垣進一「楢崎宗重先生略年譜」、酒井雁高「楢崎宗重/著作目録」が掲載、同年9月発行の『北斎研究』29号にも略年譜と編著目録が掲載されている。墓所は研究対象として取り組んできた浮世絵師、葛飾北斎と同じ東京都台東区元浅草の誓教寺。 

主要著書

『日本風景版画史論』(近藤市太郎と共著 アトリエ社 1943年) 
『北斎論』(アトリエ社 1944年) 
『浮世絵史話』(巧芸社 1948年) 
『北斎と広重』(講談社 1963年) 
『肉筆浮世絵』(講談社 1970年) 
『浮世絵の美学』(講談社 1971年) 
楢崎宗重 絵画論集』(講談社 1978年)

出 典:『日本美術年鑑』平成14年版(242-243頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「楢崎宗重」『日本美術年鑑』平成14年版(242-243頁)
例)「楢崎宗重 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28226.html(閲覧日 2024-04-19)

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