田中善之助

没年月日:1946/09/18
分野:, (洋)

春陽会々員田中善之助は9月18日京都市上京区の自宅で病を得て死去した。享年58才。明治22年12月京都西陣に生れ、15才の頃、日本画家岩城清★に就て学んだが、一年余にして退門し家業に従つた。更めて洋画を志し明治38年11月聖護院洋画研究所に入つた。翌年家情に依つて研究の中断を余儀なくされようとしたが、師浅井忠の庇護に依りその内弟子となつた。41年第2回文展に南紀湯崎での風景画「紀州海岸」が入選、爾来関西美術院に於ける富贍な諸作を以て一時京都洋画界に特異の存在と目されていた。43年同院第4回展の「女」や44年第1回仮面会展の「芸妓」はこの期の代表作である。44年田中喜作と謀り、洋画家では津田青楓黒田重太郎等、日本画家では土田麦僊小野竹喬等と共に黒猫会運動を起して当時の京都画壇に一石を投じた。大正9年渡欧、12年帰朝したが滞欧中春陽会の会員に推挙され、同年5月同会第1回展には滞欧中の諸作を発表した。帰朝後関西美術院の指導に当り、京都市美術展創設以来の審査員に推されていた。豊麗な色彩と重厚な筆触をもつて、屡々台湾に遊んで得た南島熱国の風景や牡丹、舞妓等を多く題材として堅実なる画風に特色をみせた。尚、昭和7年全関西美術協会と共に関西の有力な二大団体の一たる新興美術教会を春陽会系同志と共に創立し、終始関西にあつて後進を導くに貢献するところがあつた。

出 典:『日本美術年鑑』昭和22~26年版(131-132頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「田中善之助」『日本美術年鑑』昭和22~26年版(131-132頁)
例)「田中善之助 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8686.html(閲覧日 2024-10-16)

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