北代省三

没年月日:2001/02/28
分野:, (美)
読み:きただいしょうぞう

 多分野にわたり表現活動をした美術家の北代省三は、2月28日午後5時15分、埼玉県熊谷市の病院で脳出血のため死去した。享年79。1921(大正10)年、東京市芝区白金に生まれる。1939(昭和14)年、麻布中学校を卒業、同年新設された新居浜高等工業専門学校機械科に入学。41年、太平洋戦争勃発にともない、同学校を繰り上げ卒業する。翌年、陸軍に応召、終戦をサイゴンで迎える。47年に復員。48年、日本アヴァンギャルド美術家クラブ主催のモダンアート夏期講習会に参加、同じ受講生であった福島秀子、山口勝弘を知る。同年10月、第12回自由美術家協会展に初出品し、また岡本太郎の勧めによりアヴァンギャルド芸術研究会に参加する。50年、この年より福島、山口とともに音楽家の鈴木博義、武満徹、福島和夫らと交流する。同年9月には、芥川也寸志の依頼により横山はるひバレエ・アート・スクール公演「失楽園」(日比谷公会堂)の舞台美術、ポスター、プログラムのデザインを手がけた。翌年、上述のグループに、さらに音楽家の秋山邦晴、山崎英夫が参加し、音楽、美術、写真、照明などによる総合芸術グループとして活動をすることになり、瀧口修造によって「実験工房」と名づけられた。同年10月、瀧口の企画により第1回個展(タケミヤ画廊)を開催した。11月、ピカソ祭バレエ「生きる悦び」(日比谷公会堂)の舞台美術とプログラムをデザインし、これが「実験工房」の第1回発表会となった。同グループは、実質的に57年まで活動をつづけた。52年1月の第2回発表会では、モビールによる舞台美術を制作し、個展でも、それまでの透明感のある幾何学的な抽象絵画にくわえてモビールを発表した。その後、モビールから、次第に写真への関心がたかまり、56年7月には、写真による最初の個展を開催した。66年には、アラビア石油カレンダーの写真を担当し、第17回全国カレンダー展で大蔵省印刷局賞を受賞。70年、石元泰博、岩宮武二と撮影にあたった写真集『日本万国博の建築』(朝日新聞社)を刊行したが、これ以後、商業写真から遠ざかった。かわって模型飛行機製作に熱中し、76年には、『模型飛行機入門』(美術出版社)を刊行した。81年、「現代美術の動向Ⅰ 1950年代―その暗黒と光芒」展(東京都美術館)、86年には「前衛芸術の日本1910―1970」展(ポンピドー・センター)に旧作を出品したことから、再評価を背景に旧作への関心がたかまり、1989(平成元)年には40年代から50年代の作品を再制作し、個展(村松画廊)で発表した。没後の2003年4月には、「風の模型―北代省三と実験工房」展が、川崎市岡本太郎美術館において開催され、生前の再制作作品を含む128点によって、旺盛な実験精神にうらづけられた、その多彩な表現活動が回顧された。

出 典:『日本美術年鑑』平成14年版(234-235頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「北代省三」『日本美術年鑑』平成14年版(234-235頁)
例)「北代省三 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28213.html(閲覧日 2024-04-25)

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