松本俊夫

没年月日:2017/04/12
分野:, (映C)
読み:まつもととしお

 映画監督、映画作家、映画理論家の松本俊夫は4月12日死去した。享年85。元日本映像学会会長。前衛的な記録映画や実験映画を手掛け、本邦において映画作家という言葉を初めて職業名として自身に用い、実験映画から劇映画、ドキュメンタリーやビデオアートまで多岐にわたり実験的・前衛的で果敢な作品を残した。また同時代において戦後の戦争責任について映像作家の果たす役割や記録の意義、映画の方法論などを拓き、多くの局面で議論をリードした。
 1932(昭和7)年3月26日、愛知県名古屋市に生まれる。55年、東京大学文学部美学美術史学科卒業。大学卒業後、新理研映画に入社しPR映画『銀輪』を初演出する。『銀輪』はPR映画という制作環境ではあったが、美術評論家・詩人の瀧口修造を後見人とした若手アーティストの集う「実験工房」と連携し、山口勝弘、北代省三らと共に松本が絵コンテを書き、特殊撮影の円谷英二と連携した画面における特殊効果を用いた。また当時はまだ無名であった音楽家の武満徹と鈴木博義のミュージック・コンクレート作品を映画内で使用するなど、前衛的・実験的な表現手法を用いて撮影された。その後、58年に新理研映画を退社し、『記録映画』『映画批評』などの雑誌で映像と美術の垣根を超えた先鋭的な観点に基づく映画理論家として活動する一方、映画制作も旺盛に行う。『安保条約』(1959年)、『白い長い線の記録』(1960年)、『西陣』(1961年)、『石の詩』(1963年)などを出がけていき、「京都記録映画を見る会」という市民団体が企画をした記録映画『西陣』で松本は62年度ベネチア国際記録映画祭グランプリを受賞した。この作品では人の手や機械によって規則正しく繰り返される機織りを、細切れにクロースアップされた映像、ショック的な音楽・ナレーション、分断された音声録音を用いて、働く人間をも分断され繰り返される機械的な運動に還元して見せ、同時に人間が分断されている当時の社会状況や労働問題も炙り出した。
 続けて、記録映画『母たち』(1967年)ではアメリカ・フランス・ベトナム・ガーナの四カ国の母親らの姿に、作家の寺山修司の作詩を女優の岸田今日子が朗読を行って重ね、抒情的ながらそれぞれの親子の間に存在するアクチュアルな現実と、社会における黒人差別やベトナム戦争の問題等を問い、重ね合わせた。この作品で再びベネチア国際記録映画祭グランプリを受賞(1967年)した。劇映画としては当時16歳の東京・六本木の踊り子であったピーター(池畑慎之介)を主演に起用した『薔薇の葬列』(1969年)、鶴屋南北の狂言『盟三五大切』を基に制作され、忠臣蔵の裏側の愛憎劇を凄惨に描いた、異色の時代劇である『修羅』(1971年)から『ドグラ・マグラ』(1988年)に至る実験的作品などを精力的に発表。夢野久作の長編小説を原作に落語家・桂枝雀が主演をした『ドグラ・マグラ』では、物語の叙述に焦点をあてた脱構築を目指し、文脈を絶えず非認識的に展開させる実験も行っている。
 一方、70年の大阪万博では「せんい館」の総合ディレクターを担当すると共に、自身は『スペースプロジェクション・アコ』を発表。複数画面による映像制作を行なった。複合メディア・アートビデオの領域においても『イコンのためのプロジェクション』(1969年)、『シャドウ』(1969年)、『マルチビデオのためのモナ・リザ』(1974年)『ユーテラス=子宮』(1976年)など、多数の作品を残した。
 映画理論家としても、『映像の発見―アヴァンギャルドとドキュメンタリー』(三一書房、1963年)、『表現の世界―芸術前衛たちとその思想』(三一書房、1967年)、『映画の変革―芸術的ラジカリズムとは何か』(1972年 三一書房)、『幻視の美学』(1976年 フィルムアート社)、『映像の探求―制度・越境・記号生成』(三一書房、1991年)、『逸脱の映像』(月曜社:編 金子遊、2013年)など多くの著作をおこない、制作・執筆と同時に、映像教育の分野にも尽力。東京造形大学デザイン科助教授(1968―71年)、九州芸術工科大学芸術工学部画像設計学科教授(1980―85年)、京都芸術短期大学映像専攻課程主任教授(1985―91年)、京都造形芸術大学教授(教務部長・1991―94年、芸術学部長・1995―96年、副学長・1997―98年)、日本映像学会会長(1996―2002年5月)、日本大学芸術学部教授(1999―2002年)、日本大学大学院芸術学研究科客員教授(2002―2012年3月)を歴任した。松本の功績に対して、第17回(2013年)文化庁メディア芸術祭功労賞が贈られたが、映像における前衛的実験、多数の著作による映像理論の発展、後進の教育等、本邦に果たした役割は一言に尽くせないものがある。

出 典:『日本美術年鑑』平成30年版(440-441頁)
登録日:2020年12月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「松本俊夫」『日本美術年鑑』平成30年版(440-441頁)
例)「松本俊夫 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/824226.html(閲覧日 2024-04-27)

以下のデータベースにも「松本俊夫」が含まれます。

外部サイトを探す
to page top