山口勝弘

没年月日:2018/05/02
分野:, (美)
読み:やまぐちかつひろ

 ビデオ等映像を用いた現代美術家で、筑波大学名誉教授の山口勝弘は、5月2日に敗血症のため死去した。享年90。
 1928(昭和3)年4月22日、東京市大井(現、東京都品川区)に生まれる。幼いときから工作を好み、船舶、飛行機などに興味を示していた。45年日本大学工学部に入学、建築科で学び、美術部に入る。日比谷のCIEライブラリー(後のアメリカンセンター)で、哲学、文学、美術書にふれ、ポロックやキ―スラー、モホリ=ナギらを知る。48年日本大学法学部法律学科に入学、美術クラブを創設する。このころ文化学院のモダンアート研究会に参加し、出席していた北代省三福島秀子らと七耀会を結成、48年11月北荘画廊の展覧会にレリーフ作品を発表する。49年読売アンデパンダンに出品、以後同展にはほとんど出品をする。アヴァンギャルド研究会、世紀の会をへて、50年美術家だけでプボアールの会を結成、後の実験工房となる。51年、髙島屋のピカソ展前夜祭でのバレエ「生きる悦び」の美術を担当、以後、工房の活動に深く関わっていく。同年、ガラスを組み合わせたレリーフ「ヴィトリーヌ」を発表する。52年初個展(銀座、松島画廊)。61年「現代のビジョン展」(サトウ画廊)に出品、同年秋からヨーロッパ、アメリカへ初の海外旅行、フルクサスのメンバーやキースラーのアトリエを訪問。帰国後、提灯のような表面だけで成立する布張り彫刻を制作する。64年「オフ・ミューゼアム展」(新宿、椿近代画廊)に出品。66年第7回現代日本美術展に光を組み込んだ立体作品「Cの関係」を発表、自身「光彫刻」と名付けた60年代の主要な傾向をしめしている。同年、銀座松屋で開催の「空間から環境へ展」では、エンバイラメントの会を結成し、デザインや建築、音楽といった多様なジャンルの作家とのコラボレーション、パフォーマンスを行う。67年グッゲンハイム国際展で60年代の彫刻として「港」が選出される。同年第4回長岡現代美術館賞展で大賞を受賞。68年「現代の空間―光と環境展’68」(神戸、そごう百貨店)、この年、海外展では第34回ベニス・ビエンナーレをはじめ、「螢光菊展」(ロンドン、現代美術研究所)、69年には「アルス’69展」(ヘルシンキ、アテナウム美術館他)に参加する。同年、銀座ソニービルでの「エレクトロ・マジカ’69」では「テクノロジーの創造的果実をみせるサイテック・アート」として国内外15作家の中心的な役割を担った。70年の大阪万博では、三井グループ館の会場構成を行なう。72年からビデオを中心とした芸術活動「ビデオひろば」に参加。74年、第11回日本国際美術展に特設されたビデオ部門に「ラス・メニナスNo.1」を発表。75年第13回サンパウロビエンナーレで特別賞受賞。77年「大井町付近」をはじめとするビデオラマシリーズを開始。70年代は国際的に様々なビデオアート展に出品、日本のビデオアートの紹介をこなしていった。81年個展(神奈川県民ホールギャラリー)。82年テクノロジーとニューメディアによる表現領域の拡張を図った「グループ・アールジュニ」設立に参加。同グループは88年まで毎年「ハイテクノロジー・アート展」を全国で開催した。86年個展(兵庫県立近代美術館ほか)。1989(平成元)年名古屋でのデザイン博覧会で「アーテック’89」をプロデュース。90年、淡路島芸術村計画の推進運動をはじめる。92年個展(愛知県美術館)。90年代にはこれまでの制作を展望する、エレクトロニクスの画像によるイメージの想像およびネットワーク「イマジナリウム」を提唱する。93年第14回ロカルノ国際ビデオアートフェスティバルでヨーロッパ委員会名誉賞受賞。94年、淡路島に制作展示の拠点「淡路島山勝工場」を設立。2001年第42回毎日芸術賞受賞。06年個展(顔曼荼羅シリーズを発表、神奈川県立近代美術館)。03年第7回文化庁メディア芸術祭で功労賞。
 著作に、『不定形美術ろん』(学藝書林、1967年)では、現代テクノロジーと社会生活を射程に入れた美術論を展開している。『作品集 山口勝弘360°』(六耀社、1981年)、ライフワークともいえる『環境芸術家キースラー』(美術出版社、1978年)、『パフォーマンス原論』(朝日出版社、1985年)、『ロボット・アヴァンギャルド』(PARCO出版局、1985年)、『映像空間創造』(美術出版社、1987年)、『メディア時代の天神祭』(美術出版社、1992年)、『UBU遊不遊』(絶版書房、1992年)、『生きている前衛 山口勝弘評論集』(井口壽乃編、水声社、2017年)などがある。
 教育歴として、77年筑波大学芸術学系教授に就任(1992年名誉教授)。92年神戸芸術工科大学視覚情報デザイン学科教授(1999年名誉教授)など。2000年から02年まで環境芸術学会会長。
 90年代、東京都現代美術館企画運営委員会委員など多くの美術館の評議員も務めた。

出 典:『日本美術年鑑』令和元年版(509-510頁)
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「山口勝弘」『日本美術年鑑』令和元年版(509-510頁)
例)「山口勝弘 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995711.html(閲覧日 2024-04-27)

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