雨宮敬子

没年月日:2019/07/31
分野:, (彫)
読み:あめのみやけいこ

 彫刻家の雨宮敬子は、7月31日、心不全のため死去した。享年88。
 裸婦像を主なモティーフとし、自然な造形美を生む優れた技量と、晴明な精神性によって評価された。注文制作である「杜に聴く」(仙台市西公園、1986年)、東京都庁都民広場の「天にきく」(1990年)等、屋外彫刻も各地に残る。
 1931(昭和6)年2月3日、東京都文京区の村山病院で生まれる。幼少期より、東京美術学校出身で建畠大夢北村西望に師事した彫刻家の父、雨宮治郎のアトリエで粘土に触れて育つ。都立桜町高等女学校2年で終戦を迎え、教文館でアルバイトをする。52年、日本大学芸術学部美術学科彫刻専攻入学。56年に同校卒業、第12回日展に「青年」初入選する。同年、文京区立湯島小学校図工専科教師として着任。また同年、日本舞踊(藤蔭流)の名取となり、藤間美治の名で弟子を教授する。57年、第5回日彫展出品作品「自刻像」が奨励賞受賞。日本彫塑会会員就任。58年、第1回日展に出品した「薫風に望む」で特選受賞。63年にも「新世代」で特選を受賞し、65年に同展審査員、66年に会員に就任。69年、三岸節子片岡球子らの設立した女性作家による総合展覧会組織「潮展」に参加(1983年第15回まで)。72年、新樹展に参加(1976年第30回まで)。同年、大阪三越で初個展。78年、日展評議員に就任、日本赤十字社金色有功章受章。82年、前年の第13回日展出品「生動」で第10回長野市野外彫刻賞受賞。83年、第15回潮展出品「生成」が第14回中原悌二郎賞受賞。85年、第17回日展出品「道」が内閣総理大臣賞受賞。87年、前年の第18回日展出品「惜春『十六歳』」が第21回現代美術選抜展出品、文化庁買い上げとなる。1994(平成6)年、日本芸術院会員。95年、理事、参事を経て日展常務理事。96年、日本彫刻会理事長(1998年まで)。2005年、『雨宮敬子作品集』(講談社)出版。11年より日展顧問。13年、父・治郎の事績の記録を思い立った敬子の発案により、共に彫刻家であった父・治郎、弟・淳との親子3人の評伝、瀧悌三『澪標記』(生活の友社)が刊行。17年、旭日中綬章受章、文化功労者に選出。

出 典:『日本美術年鑑』令和2年版(495-496頁)
登録日:2023年09月13日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「雨宮敬子」『日本美術年鑑』令和2年版(495-496頁)
例)「雨宮敬子 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/2041056.html(閲覧日 2024-10-07)

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