吉澤忠

没年月日:1988/01/12
分野:, (学)

美術史家で、元東京芸術大学教授、国華編輯委員、文化財保護審議会専門委員の吉澤忠は1月12日、心不全のため横浜市西区東ケ丘の自宅において死去。享年78。明治42(1909)年6月15日、東京の医師の家に生れた。幼児の頃隣家に住していた板谷波山に可愛がられ、後年『板谷波山伝』等波山に関する著作があるのもそうした縁による。浦和高等学校から東京帝国大学文学部美術史学科に入学、同大学院へ進み、昭和8年同研究室副手となる。大学では瀧精一の下で中国美術を専攻。昭和10年文部省重要美術品等鑑査事務嘱託、昭和16年東方文化学院研究員嘱託を経て昭和21年文部省重要美術品等調査嘱託となった後、東京国立博物館嘱託から同23年文部技官として同館に勤務。しかし、同館の民主化運動の推進者としての活動が起因となり翌24年に依頼免官となった。この時同じく退職した藤田経世等と文化史懇談会を創設した。この会の成果のひとつとして、『日本美術史叢書』(東京大学出版会)があげられるが、自身は『渡辺崋山』を執筆している。
 昭和27年より多摩美術大学講師として教鞭をとる一方、昭和33年9月より国華編輯委員として古美術研究誌「国華」の編輯に参加。爾来没するまで、南画を中心として30余の論文を発表し、170点余の作品を紹介している。昭和38年には東京芸術大学講師となり、同52年の退官まで同大で教鞭をとる(同40年助教授、同42年教授)。同61年には同大名誉教授に推された。
 その研究領域は昭和17年「国華」に発表した「南画と文人画」以後、主として日本の南画にしぼられ、南画を体系的に把握し、日本南画研究の骨格をつくった業績は高く評価される。その研究の大要は『日本南画論攷』によって窺うことができるが、自己の仕事をふりかえりみて述べたその後書きでもわかるように、一貫して画も思想であるという観点に立ち、画家の生き方と画との関連を追求するものであった。
 またその関心はいわゆる古美術にとどまらず、近現代の美術に及んで『横山大観』等を著し靉光を語り、昭和24年制定された文化財保護法をはじめとする文化財行政にも強い関心をもち「明治・大正時代と現代との古美術評価の変化」等の論文を著わすとともに、日本の現代美術の舌峰鋭い批判者でもあった。
こうした研究上の課題や関心は、すでに昭和29年に刊行された『古美術と現代』において鮮明に語られており、上記の仕事が一貫して美術と人間と社会をめぐる問題意識のもとに展開されたものであることが理解される。同時に本書で示されている美術史家・作家の姿勢、伝統と創造、美術行政などについてのするどい指摘はいまなお古びていない。
 病躯をおして「国華」百年の論文に目を通し、選択し編んだ『国華論攷精選』が、最後の仕事となった。

主な著作・論文等
南画と文人画 国華 622、624~626 昭和17年9月、昭和18年1月
美術界の封建性 日本評論 21-12 昭和21年12月
参議院文化財保護法批判 日本歴史 19 昭和24年9月
田能村竹田の敗北 国華 696~699 昭和25年3月、昭和25年6月
浦上玉堂筆東雲篩雪図 国華 706 昭和26年1月
崋山-特にその描線について- 美術史 9 昭和28年6月
古美術と現代 昭和29年8月
崋山の周囲と大鹽事件 上、下 国華 765、766 昭和30年11月、12月
渡辺崋山 日本美術史叢書 昭和31年11月
大雅 日本の名画 昭和32年3月
池大雅画譜 第1-5輯(編集、図版解説) 昭和32年2月、昭和34年5月
横山大観-日本近代画のたたかい- 美術出版社 昭和33年9月
関西の南画と江戸の南画 萌春 61 昭和33年11月
大雅二十代の作品-年記のある作品を中心に- 美術研究 201 昭和34年3月
池大雅における様式転換-二十代・三十代の作品を中心に- 国華 811 昭和34年10月
渡辺崋山筆 一掃百態図について 国華 812 昭和34年11月
彭城百川筆陶原家の襖絵について 国華 619 昭和35年12月
浦上玉堂筆煙霞帖について 国華 830 昭和36年5月
大雅伝説の信憑性 国華 836 昭和36年11月
横山大観 日本近代絵画全集 15 昭和37年8月
菱田春草 日本近代絵画全集 16 昭和38年6月
崋山の田原塾居とヒポクラテス像 国華 873 昭和39年10月
彭城百川筆秋山風雨図 国華 882 昭和40年9月
板谷波山伝 昭和42年
大雅・蕪村と十便十宜画冊 十便十宜画冊(解説) 昭和45年5月
日本美術史(編集分担執筆) 昭和45年
横山大観の人と芸術 重要文化財「生々流転」(複製)解説 昭和46年11月
明治・大正時代と現代との古美術品評価の変化 国華 949 昭和47年8月
池大雅 ブック・オブ・ブックス日本の美術 26 昭和48年3月
立原杏所筆葡萄図 国華 967 昭和49年4月
放蕩無頼の絵画-日本南画の主流として- 文学 42-10 昭和49年10月
如意道人蒐集画帖について 国華 975 昭和49年11月
玉堂・木米・米山人 水墨美術大系 13 昭和50年3月
総論、南画の先駆者 水墨美術大系 別巻1 昭和51年3月
久隅守景筆夕顔棚納涼図再論 国華 1004 昭和52年9月
池大雅筆遍照光院襖絵-特にその制作年代を中心にして- 国華 1007 昭和52年12月
浦上玉堂画譜 第1-3輯(編集、図版解説) 昭和52年12月、昭和54年
日本南画論攷 昭和52年8月
岡田米山人の人と作品 文人画粋編 15 昭和53年3月
山水図屏風序説 日本屏風絵集成 2 昭和53年3月
序説-近代日本画の展開 日本屏風絵集成 17 昭和54年2月
与謝蕪村筆夜色楼台図について 国華 1026 昭和54年8月
南画屏風論-大雅・蕪村を中心に 日本屏風絵集成 3 昭和54年11月
与謝蕪村 日本美術絵画全集 19 昭和55年4月
与謝蕪村筆紅白梅図屏風について 国華 1044 昭和56年8月
与謝蕪村の若描きについて-弘経寺墨梅図襖絵にふれながら- 国華 1054 昭和57年8月
浦上玉堂筆 圏中書画組合について 国華 1066 昭和58年9月
円山応挙筆四季遊楽図巻下絵について 国華 1081 昭和60年3月
岡田米山人筆 福寿草図 国華 1091 昭和61年2月
久隅守景筆四季山水図屏風について 国華 1095 昭和61年7月
同じ図のある池大雅筆蘭亭曲水屏風について 国華 1096 昭和61年8月
青木木米筆薦寿南星図扇面を中心にして 国華 1107 昭和62年9月
日本の南画 挿花清賞 昭和63年2月

出 典:『日本美術年鑑』平成元年版(251-252頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「吉澤忠」『日本美術年鑑』平成元年版(251-252頁)
例)「吉澤忠 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10205.html(閲覧日 2024-03-29)

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