吉田千鶴子

没年月日:2018/06/09
分野:, (学)
読み:よしだちづこ

 近代日本の美術史研究者であった吉田千鶴子は、6月9日松戸市内の病院で死去した。享年73。
 1944(昭和19)年、群馬県に生まれる。群馬県立前橋女子高等学校を卒業、東京藝術大学美術学部芸術学科に進学し、68年3月卒業。同大学大学院に進み、吉沢忠教授のもとで東洋美術史を学び、71年3月に同大学院修士課程を修了。同年4月から同大学美術学部非常勤助手となる。後に同大学美術学部教育資料編纂室助手となる。81年から2003(平成15)年まで、『東京芸術大学百年史』編纂に従事した。同編纂事業では、一貫してその中心となり、同大学の前身東京美術学校開校時から現在までの資料を広範に調査収集し、精緻な考証と丹念な記述によって、下記のように浩瀚な年史にまとめあげた。同書は、一学校、大学の歴史にとどまらず、日本の近代美術の形成史となる内容であり、斯界の研究にとって基本文献、基礎資料となっている。
 財団法人芸術研究振興財団、東京芸術大学百年史編集委員会編『東京芸術大学百年史 東京美術学校篇一』(ぎょうせい、1987年)
 同上編『東京芸術大学百年史 東京美術学校篇二』(ぎょうせい、1992年)
 同上編『東京芸術大学百年史 東京美術学校篇三』(ぎょうせい、1997年)
 同上編『東京芸術大学百年史 東京美術学校篇別巻「上野直昭日記」』(ぎょうせい、1997年)
 同上編『東京芸術大学百年史 美術学部篇』(ぎょうせい、2003年)
 その後、08年から15年まで、東京文化財研究所客員研究員。12年から16年まで、東京藝術大学総合アーカイブセンター特別研究員を務め、茨城大学五浦美術文化研究所客員研究員でもあった。
 研究者としては、この編纂事業の過程で、日本の美術史学の史的形成にも関心を深め、岡倉天心をはじめとする教育者たちの研究もすすめた。また東京美術学校の時代から、同大学が東アジアにおける近代的、組織的な美術教育の拠点だったところから、留学生の研究もあわせておこない、その成果は『近代東アジア美術留学生の研究 東京美術学校留学生史料』(ゆまに書房、2009年)にまとめられた。同時に、中国、台湾等の近代美術研究者との交流も深まり、12年から、杭州師範大学弘一大師・豊子愷研究中心客員研究員を務め、また各地域の大学等での講演、シンポジウムへの参加等を通じて研究交流を果たした。
 論文、発表等は数多く残されているが、主要な著作は下記のとおりである。
 磯崎康彦共著『東京美術学校の歴史』(日本文教出版、1977年)
 山川武共編『日本画 東京美術学校卒業制作』(京都書院、1983年)
 責任編集『木心彫舎大川逞一回想』(三好企画、1906年)
 大西純子共編『六角紫水の古社寺調査日記』(東京芸術大学出版会、2009年)
 『「日本美術」の発見 岡倉天心がめざしたもの』(吉川弘文館、2011年)
 後藤亮子編修協力『西崖中国旅行日記』(ゆまに書房、2016年)
 20年以上にわたる上記編纂事業を通じて蓄積された知見と研究成果は、日本、東アジアの近代美術史、ならびに日本における「美術史」形成過程の一端を膨大な資料を通じて実証したものであり、その功績は大きい。

出 典:『日本美術年鑑』令和元年版(512-513頁)
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「吉田千鶴子」『日本美術年鑑』令和元年版(512-513頁)
例)「吉田千鶴子 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995731.html(閲覧日 2024-04-19)

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