根上富治
日本画院同人の画家根上富治は、1月14日午後6時20分、胃ガンのため東京都渋谷区の井上病院で死去した。享年86。1895(明治28)年1月5日山形県酒田市に生まれ、東京美術学校で日本画を学ぶ。師は結城素明であった。在学中の1921(大正10)年、第2回帝展に、「雨後群鶏の図」が初入選し、美術学校を卒業した22年の第4回帝展では「飼鷹」が特選を受賞、翌年から無鑑査で出品している。この後も帝展、新文展と出品を続けているが、一方、38(昭和13)年の日本画院創立に際しては、川崎小虎、望月春江、野田九浦、町田曲江らと共に創立同人として名を連ねた。また37年頃より終戦頃まで、帝国美術学校(現武蔵野美術大学)で教鞭をとっている。戦後も、日展、日本画院に出品し、日展では49年の第5回展より依嘱出品となったが、ここ10年ほどは、日展・日本画院展にもほとんど出品していなかった。
出 典:『日本美術年鑑』昭和57年版(269頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「根上富治」『日本美術年鑑』昭和57年版(269頁)
例)「根上富治 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10014.html(閲覧日 2025-01-25)
例)「根上富治」『日本美術年鑑』昭和57年版(269頁)
例)「根上富治 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10014.html(閲覧日 2025-01-25)
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