町田曲江

没年月日:1967/06/05
分野:, (日)

日本画家町田曲江は、6月5日老衰のため死去した。享年88才。本名春之助。明治12年3月3日長野県下高井郡に生れ、少年の頃郷里の南画家児玉果亭の教えをうけた。明治29年同郷の細野完爾と共に郷里を出、京都で南画家内海吉堂の門に入った。翌年吉堂の添書をもって上京し、寺崎廣業の門に入り、同時に白馬会研究所で黒田清輝に油絵を学んだ。明治43年から大正4年にわたり滞欧、作品は主として文帝展、日本画院等に発表し、ことに初期文展頃の活躍が知られる。戦後は日本画院同人で、信州美術会長、信濃美術会々長をしていた。
略年譜
明治34年 「寡婦」第11回日本絵画協会第6回日本美術院連合共進会出品褒状一等
明治40年 「仏陀の光」東京府主催勧業博覧会出品一等金牌。「悲報に接したる仏徒の歩み」第1回文展三等賞。
明治41年 国画玉成会に参加。
明治42年 関根正直長女ゆきと結婚。
明治43年 欧州に留学し、フランスでアルフレット・フーシェ教授の指導でインドの仏教美術の研究に従い、帰朝の際印度に寄り仏蹟を巡歴した。
大正2年 帰国。
大正4年 「三大門」第9回文展褒状。
大正6年 「五十鈴の川上」(三枝折)第11回文展出品。
大正7年 「天安河原」(六曲屏風一双)第12回文展出品。
大正9年 「十月頃」(対)第2回帝展出品。
大正10年 「九官鳥」第3回帝展出品。
大正13年 「猫」(対)第5回帝展出品。
大正14年 「若き鹿と孔雀」(六曲一双、右森、左庭)第6回帝展委員に推薦され、無鑑査となる
大正15年 「喜々羨望・慈雨頻来」(二幅対)第7回帝展、無鑑査出品。(以下無鑑査出品)聖徳太子奉讃美術展覧会委員となり、「久米路橋」出品。
昭和2年 「浄化」第8回帝展出品。
昭和3年 「健馬」第9回帝展出品。「御操練ノ図」明治神宮絵画館壁画揮毫。
昭和4年 「高姿」第10回帝展出品。
昭和5年 「摩訶摩瑜利」第11回帝展。
昭和6年 「清幽」第12回帝展出品。
昭和7年 「鳥小舎」第13回帝展出品。
昭和8年 「なぎさ」第14回帝展出品。
昭和9年 「晩晴魚竿」第15回帝展出品。「神武天皇御即位式」養正館壁面。
昭和11年 「哀愁」(右廃墟、中世尊、左迦★羅衛城)文展招待展出品。
昭和13年 「天岩戸」第2回文展無鑑査出品。
昭和14年 「東天鴻基」第3回文展無鑑査出品。
昭和15年 「伊那佐の浜」紀元2600年奉祝美術展出品
昭和16年 「八紘一宇」第4回文展無鑑査出品。「明治天皇広島大本営軍務御親裁之図」(朝鮮明徴会壁画)
昭和18年 「建津之身命」文部省戦時特別展出品。
昭和42年 6月4日正六位に叙せられ勲五等双光旭日章を授与される。
昭和42年 6月5日逝去。

出 典:『日本美術年鑑』昭和43年版(144頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「町田曲江」『日本美術年鑑』昭和43年版(144頁)
例)「町田曲江 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9098.html(閲覧日 2024-12-05)

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