新図画協会解散

1938年06月

昨秋明朗美術聯盟を脱退した作家等により結成された新国画協会は「各自の作家的使命を再認識し更に新しき芸術的飛躍を期する為」六月十七日解散を声明した。

国際ペン連合東京大会返上

1938年06月

第十八回国際ペン聯合大会は、紀元二千六百年を期して昭和十五年東京で開催されることになつてゐたが、日本ペン倶楽部では協議の結果、時局に鑑みて返上することに決定し、六月二十日からプラーグで開催中の第十六回同大会にその旨を申送つた。

歴程美術研究会結成

1938年06月

馬場和夫、船田玉樹等九名の日本画家によつて歴程美術研究会が結成された。「東洋の絵画が一元なるを実証し、東洋絵画芸術の特徴と美点を鼓吹し」又「世界文化交流の間に身を処して我等の絵画を世界材として提示せん為に研究を起し、所信に従つて審美を究めんとするものである。」

大輪画院結成

1938年06月

さきに明朗美術聯盟を脱退した作家達は新団体大輪画院を結成、六月十六日発会式をあげた。

慰問絵画

1938年06月

池上秀畝社中の伝神洞同人八人は二十点の作品を六月十一日陸軍当局に寄附、これらの絵画は戦地将兵慰問の為官給便箋の表紙として多数を印刷発送されることとなつた。

日伊文化会館建設計画

1938年06月

イタリア政府では日伊親善と両国文化の発展並にイタリア研究の為の中心機関創設について計画中であつたが、之に協力する為原田積善会は十万円の建設費を寄附し、又三井高陽男は麹町イギリス大使館附近の土地約一千坪を寄附したので、近く日伊文化会館を建設することとなり、六月十四日アウリチ大使から発表された。

友田伍長立像

1938年06月

昨秋江南戦線で戦死した友田恭助の立像は加藤顕清によつて作られ、日本彫刻家協会展に出陳されたが、作者から築地小劇場に寄贈され六月十日同所に於て関係者参列の下に同立像安置式が行はれた。

ニユーヨークに日本文化図書館設置

1938年06月

国際文化振興会ではニユーヨーク市ロツクフエラー・センターに日本文化図書館を創設することとなり、同会理事長樺山愛輔伯は五月二十六日発氷川丸で、同常務理事黒田清伯は多数の資料を携へ、六月十日発日枝丸で渡米、建設を急ぐこととなつた。樺山伯を初代館長として、日本文化紹介に関する図書出版物を備へて研究者の利用に供する外、研究費の補助、情報の提供、映画、写真の配付その他の事業を行ふ筈である。

アジヤンター壁画模写

1938年06月

京都の日本画家杉本哲郎は昨秋渡印し、アジヤンター窟院の壁画模写を作製、又セイロンのシギリヤ壁画の模写をもなして六月十日帰朝、同模写は恩賜京都博物館に納めることになつた。

麦僊遺作京都美術館寄贈

1938年06月

過般東京と京都で土田麦僊遺作展が開催されたが之を機会に帝展第十四回出品作「平牀」とその習作百六十三点とが千代子夫人から大礼記念京都美術館に寄贈された。

人形をドイツに寄贈

1938年06月

帝大その他のドイツ語教師エルザ・エリザベト・マルクワルトがベルリン博物館の為に日本の人形蒐集を希望したので、日独文化協会では西沢笛畝、山田徳兵衛と協議、その斡旋で東京の人形作家等を勧誘、約五十点の作品を蒐め六月六日小石川後楽園内涵徳亭に陳列、同女史に贈つた。

美術雑誌「丹青」発刊

1938年05月

一水会では新に美術雑誌「丹青」を年四回刊行することとなり、五月下旬創刊号を出した。

国際手工業博覧会参加

1938年05月

ドイツ国政府、ドイツ・アルバイトフロント及ドイツ手工業全国団体主催の下に、手工業の経済的社会道徳的、芸術的能力乃至使命を世界に宣示し、又機械万能主義と一切の規格、劃一主義に対抗する手工業的精神の強調を目的として、第一回国際手工業博覧会が五月二十八日から七月十日迄ベルリン・カイゼルダムに於て世界約二十六ヶ国の出品を蒐めて開催された。  我が国も之に参加、漆器、竹細工、金工品、日本刀、人形、七宝、染織品、和紙応用品、小木工品、弓等の固有工芸品を国際文化振興会の手によつて蒐集選定の上出品し、又製作実演の為竹細工の増田蜂斎、弓矢の石津重貞を特派した。

明朗美術連盟同人脱退

1938年05月

同聯盟では同人小林彦三郎を協調の精神に反するものとして除名、同人及び樋口英雄、谷良治、佐々木順、楠奉白光、穂坂静夫、山田菁々は五月二十四日脱退を声明した。

慰問えはがき作製

1938年05月

戦地にある将兵に給与されてゐたゑはがきは従軍画家等の手になる戦場風景ばかりであつたが、新に陸軍東京経理部では、軍事郵便用のゑはがきとして横田大観、川合玉堂池上秀畝飛田周山和田三造熊岡美彦の六名に作画を委嘱、内地の風物を写したものを作製し、五月二十六日原画がすべて揃つたので多数印刷の上戦線に送ることとなつた。

木戸文相よりヒトラー総統へ贈物

1938年05月

日独交驩の為、日本側青少年団の一行は五月二十七日神戸発で派遣されることとなつたが、この機会に、木戸文相よりヒトラー総統に横山大観筆旭日に富士を描いた絹本横物一幅を贈呈することとなり一行に託した。

木漆金工関係官会議

1938年05月

商工省主催第四回木、漆、金工関係技術官会議は、五月十六日より四日間大阪府工業会館に於て開催、商工省白井化学工業課長外十一名地方技術官九十四名出席し種々協議を行つた。特に時局に鑑み輸出振興、資源開発、代用品研究等の問題が考究された。 

ベルリン日本工芸展

1938年05月

日独文化協会主催で日本工芸展覧会が五月二十一日からベルリン郊外シエーンハウゼン城で開かれた。

上海戦線記念絵画製作

1938年05月

上海軍報導部では部長木村大佐、金子少佐等の肝煎りで、支那事変記念画を作製することとなり、衛生上等兵として服務中の長坂春雄の斡旋により、同人を初め中村研一小磯良平江藤純平柏原覚太郎向井潤吉朝井閑右衛門、南正善、鈴木栄二郎(軍属服務中)及び脇田和の十名を製作者に選定して事業に着手した。此等の画家達は軍の委嘱により五月上旬上海に至り、戦線を視察の上夫々部署を定めて仕事に取りかゝつた。いづれも二百号の油絵とする筈である。

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