伊藤廉

没年月日:1983/01/24
分野:, (洋)

東京芸術大学名誉教授、愛知県立芸術大学客員教授の洋画家伊藤廉は、1月24日午後0時3分、肺炎のため名古屋市の国立名古屋病院で死去した。享年84。明治31(1898)年10月7日、愛知県名古屋市に生まれる。本名廉。大正6年愛知県立第一中学校を卒業し明治大学文学部に入学するがすぐに中退。同9年東京美術学校西洋画科に入学する。同科在学中の同12年第10回二科展に「室内」で初入選。同14年同校を卒業する。昭和2年から5年まで滞欧し、帰国の年第17回二科展に滞欧作15点を特別出品して二科賞を受けるが、同年同会を退き、翌6年林武らと独立美術協会を結成。同会には創立会員として力作を発表し続けるが同12年第7回展の出品を最後に脱会。同18年第18回国画会展から同会に会員として参加する。また、同33年からは国際具象派展にも出品。初期には人物画を多く画いたが、1930年代初頭から静物画に転じ、物の存在について追求を始め、戦後の同26年に胸を患ってのち一層その思索的傾向を強めた。無花果や密柑などを落ち着いた色調で描き、独自の静謐な画風を示す。同21年東京芸術大学講師に就任して以来美術教育にも尽くし、同29年に同大教授、同36年には同美術学部長となり、同41年停年退官して同大名誉教授となる。同年からは愛知県立芸術大学美術学部長をつとめ、同47年停年退職し同客員教授となる。また、同33年より第2、3、6-8、11回安井賞選考委員をつとめた。『セザンヌ覚書』『絵の話』ほか多数の著書があり、同56年には『伊藤廉画集』が刊行されている。没後「伊藤廉記念賞」が設定された。
団体展出品歴
1923 第10回二科展 「室内」
1924 第11回二科展 「楽器のある静物」「卓上静物」
1925 第12回二科展 出品せず
1926 第13回二科展 「少年」「腕組める裸婦」「花などの静物」「裸婦習作」
1927 第14回二科展 「裸婦」「画室のモデル」「静物」「蔓性薔薇など」
1928、29 出品せず(滞欧)
1930 第17回二科展 特別出品「フオトイユにねむる女」「M・B・Cの肖像」「緑色のジレ」「フオトイユに休む女」「窓による女」「肖像」(3点)「静物食卓」「窓に近く」「レ・フラテリエ」「ある労働者の肖像」「パンフレをよむ女」「ヨッパラヒ」
1931 第1回独立展 「新聞をよむ女」「肖像」「風景海」「裸体習作」「労働者区料理店」「頭」「窓による」「ナポリの浮浪者」「水浴構図」「半身」
1932 第2回独立展 「手紙をかくブルトンヌ」「海(エトルタ)」「夏」「ギター奏手」
1933 第3回独立展 「岩山」(5点)「登山用具静物」
1934 第4回独立展 「虎」
1935 第5回独立展 「雨霽(熊野川)」「静物」
1936 第6回独立展 「群猿」
1937 第7回独立展 「生蕃」
1943 第18回国展 「雉子」
1944 第19回国展 「柘榴静物図」
1946 第20回国展 「佛頭不動明王鬼面百点の内」
1947 第21回国展 「赤い卓」「雨上り」
1947 第22回国展 「八角瓶と柘榴」「雨上る」
1948 第23回国展 「硝子器」「桃と水差し」「鳩と水差し」
1949 第24回国展 「牛と静物」「牛のゐる風景」「窓辺静物」
1950-55 出品せず
1956 第30回国展 「無花果一顆」
1957 第31回国展 「無花果五ツ」
1958 第32回国展 「蜜柑」
1959 第33回国展 「蜜柑五箇」
1960 第34回国展 「葉上無花果」
1961 第35回国展 出品せず
1962 第36回国展 「西洋梨」「柚子」
1963 第37回国展 「レモン」「円卓レモン」
1964 第38回国展 「洋梨」
1965 第39回国展 「静物」
1966 第40回国展 「レモンとイチジク」
1967から出品せず73年11月退会。

出 典:『日本美術年鑑』昭和59年版(295頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「伊藤廉」『日本美術年鑑』昭和59年版(295頁)
例)「伊藤廉 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10126.html(閲覧日 2024-03-29)

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