島田章三

没年月日:2016/11/26
分野:, (洋)
読み:しまだしょうぞう

 日本芸術院会員の洋画家、島田章三は11月26日、すい臓がんのため死去した。享年83。
 1933(昭和8)年7月24日、神奈川県三浦郡浦賀町に浦賀ドックのインテリアデザイナーであった父英之の三男として生まれる。40年大津尋常小学校(現、横須賀市立大津小学校)に入学するが43年に肋膜炎となり休学。同年、祖父の住む長野市に疎開。45年、横須賀に帰り、46年大津国民学校高等科に入学。在学中に佐々木雅人、金沢重治、熊谷九寿に絵を学び、神奈川県内の絵画コンクールで受賞を重ねる。49年横須賀高等学校に入学。52年に同校を卒業し東京藝術大学進学を志して川村伸雄のアトリエに通う。54年東京藝術大学油画科に入学。1年次は久保守、2年次は牛島憲之、3年次は山口薫、4年次は伊藤廉に師事。在学中の57年、柱時計を胸に抱き、顎に釣り合い人形を乗せた上向きの女性を描いた「ノイローゼ」で第31回国画会展に初入選。以後、同展に出品を続ける。同年10月サヱグサ画廊で「林敬二・島田章三二人展」を開催、12月には福島繁太郎の推薦によりフォルム画廊にて初個展を開催する。58年東京藝術大学油画科を卒業。同期生には後に前衛作家として活躍する高松次郎中西夏之工藤哲巳、具象画家の橋本博英、林敬二、油画修復家となった歌田眞介、山領まり、パルコのポスターで一世を風靡した山口はるみらがいる。同年、専攻科に進学し、第32回国画会展に「ひるさがり」を出品して同会会友となる。60年、同学専攻科を卒業。61年第35回国画会展に抽象化された形体と重厚なマチエールによる「うしかなし」「とりたのし」を出品して同会会員となる。同年第5回安井賞候補新人展に「うしかなし」「とりたのし」で入選。61年、大学の同級生であった田中鮎子と結婚。66年、新設された愛知県立芸術大学に恩師伊藤廉に請われて講師として赴任。67年第11回安井賞候補新人展に馬と母子を描いた「母と子のスペース」、牛に乗る女性を描いた「エウローペ」を出品して前者により安井賞を受賞。68年愛知県在外研究員として渡欧しパリを拠点にスペイン、イタリアにも巡遊。古典から現代まで広く西洋美術に接し、特にピカソ、ブラック、レジェなどキュビスムの作家らが「絵を思考している」ことを知り、「形態を再構成していく立体派を、日本人の言葉(造形)で翻訳してみたいものだ」と考え、色面・線・画肌を軸に再考。また、西洋の芸術運動がその地の生活に根ざしたものであることを知り、自らの身の回りの日常に取材してかたちを生み出す「かたちびと」のテーマへの契機を得る。69年9月に帰国し、愛知県立芸術大学助教授となる。79年藤田吉香、大沼映夫ら10名の洋画家で「明日への具象展」を設立して同人となり、同年の第1回展に「炎」「波」を出品する。同展には84年まで毎年出品。80年、「島田章三自選展」を丸栄スカイルおよび東京銀座の和光で開催。また同年、「炎」(1979年)などの作品により第3回東郷青児美術館大賞を受賞し、東郷青児美術館にて展覧会を開催する。同年アメリカへ、83年ブラジルへ旅行。また、同年池田20世紀美術館にて「島田章三の世界展」を開催。1990(平成2)年、前年の第63回国画会展出品作でブラックの名が記された鳥の絵を画面上部中央に配した室内人物画「鳥からの啓示」により第8回宮本三郎記念賞を受賞。同年愛知県立芸術大学芸術資料館館長に就任。92年同学教授を退任し、96年に名誉教授となり、2001年から07年3月までは同学学長を務める。99年、前年の第72回国画会展出品作「駅の人たち」により第55回日本芸術院賞を受賞し日本芸術院会員となる。04年文化功労者となる。07年4月から10年12月まで愛知芸術文化センター総長を務める一方、07年から11年3月まで郷里の横須賀美術館館長を務める。1950年代以降、前衛的な表現が次々と生み出される中で、島田は「表現とは形にならないものから形をつくるもの」(『島田章三』、芸術新聞社、1992年)と語り、古賀春江、香月泰男山口薫らによる「形をリリシズムで扱う、日本に芽生えた、モダニズムの仕事」(同上)を引き継ごうと試みた。93年5月に郷里の横須賀市はまゆう会館で「島田章三展」、99年に三重県立美術館ほかで「島田章三展 かたちびと」、11年に愛知県美術館、横須賀美術館で「島田章三展」が開催されている。11年の展覧会図録には詳細な年譜と作家自身による作品解説が掲載されている。著書に『島田章三画集』(求龍堂、1980年)、『S. Shimada essays & pictures』(大日本絵画、1984年)、『島田章三 かたちびと』(美術出版社、1988年)、『島田章三画集』(ビジョン企画出版社、1992年)、『島田章三』(アートトップ叢書、芸術新聞社、1992年)、『島田章三:現代の洋画』(朝日新聞社、1996年)、『島田章三画集』(ビジョン企画出版社、1999年)、『ファイト:島田章三画文集』(求龍堂、2009年)がある。

出 典:『日本美術年鑑』平成29年版(563-564頁)
登録日:2019年10月17日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「島田章三」『日本美術年鑑』平成29年版(563-564頁)
例)「島田章三 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/818896.html(閲覧日 2024-04-20)

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