最上壽之

没年月日:2018/10/02
分野:, (彫)
読み:もがみひさゆき

 彫刻家で武蔵野美術大学名誉教授の最上壽之は10月2日心不全のため死去した。享年82。
 1936(昭和11)年3月3日、神奈川県横須賀市に生まれる。55年から光風会研究所にてデッサンを学ぶ。翌年に東京藝術大学彫刻科に入学し、石井鶴三に師事した。60年、同校を卒業。卒業制作の「カギ(鍵)」を同年の第10回モダンアート協会展に「イイイイ」と名付けて出品し、奨励賞を受賞した。翌年の第11回モダンアート協会展に「ダンダンダ」を出品。また、同年はじめての個展を村松画廊で開催する。62年の第12回モダンアート協会展で「ナムナムネ」を出品。同会会員となった。以後、69年まで同展に出品している(1970年に退会)。
 63年の「コンタクト・セブン展」(椿近代画廊)では、山口勝弘に推薦され「テンテンテン」を出品。また、同年の「彫刻の新世代展」(東京国立近代美術館)に「ハハハハ」「ミロミロザマミロ」「テキテキテキテキ」を発表するなど、モダンアート協会展以外での活動も行うようになる。翌年、「現代美術の動向展」(国立近代美術館京都分館)にて「笑笑笑々」「安安安々」を発表。66年には第1回神奈川県美術展(神奈川県立近代美術館 以後、第5回まで出品)と第7回現代日本美術展に参加(第10回まで出品)。また、同年第6回フォルマ・ヴィヴァ国際彫刻家シンポジウムと「日本・イタリア作家展」で作品を発表。国内外での評価が高まった。67年には第9回日本国際美術展、71年には第4回現代日本彫刻展に作品を発表。そして、73年には第1回彫刻の森美術館大賞展と「戦後日本美術の展開」(東京国立近代美術館)に参加する。
 74年には文化庁在外研修員として渡仏。パリを拠点にヨーロッパでさまざまな美術と触れる。翌年、「コテンパン」で第4回平櫛田中賞を受賞。また、同年に同賞の記念展を髙島屋で行う。同年11月にフランスから帰国。その後、数々の展覧会で賞を受賞している。76年には第5回神戸須磨離宮公園現代彫刻展で「イキハヨイヨイ カエリハコワイ」を出品し兵庫県立近代美術館賞を受賞、翌年に第7回現代日本彫刻展で毎日新聞社賞を受賞する。79年、第8回同展で東京都美術館賞、80年には第7回神戸須磨離宮公園現代彫刻展に「コンナイイモノ ミタコトナイ」を出品し、朝日新聞社賞を受賞。翌年、「ドコマデイッテモ ボクガイル」で第12回中原悌二郎賞優秀賞を受賞した。83年には第10回現代日本彫刻展で第10回特別記念賞・土方定一記念賞、86年には、みなとみらい21彫刻展 ヨコハマ・ビエンナーレ´86でみなとみらい21賞を受賞。また、同年みなとみらいに屋外彫刻「タイヤヒラメノマイオドリ」が設置された。1990(平成2)年には第12回神戸須磨離宮公園現代彫刻展で優秀賞を受賞。94年、第14回同展でも佳作賞を受賞している。また、2001年にはこれらの功績が認められ、紫綬褒章を受章した。
 彫刻家として高く評価された一方で、教育者としての一面もあり、05年まで武蔵野美術大学彫刻学科教授として後進の教育に携わった。同年、同校にて退任記念展として「コドモ ドコマデモ コドモ」を開催。歿後、同校の教員やOBによって偲ぶ会が行われるなど、多くの彫刻家に慕われていたことが窺える。
 先述の作品の他、「ル、ル、ル、ル」(1968年)「バッ ドラネコミャオー」(1979年)「テクテクテクテク」(1983年)など、リズミカルでユーモラスなタイトルが特徴的な作品を多く遺した。その他野外彫刻も手掛けており、新潟県の加茂駅前に「ウキウキ ワクワク ナニモカモ」(1991年)、神奈川県横須賀市の中央公園に「ヘイワ オーキク ナーレ」(1992年)、同県みなとみらい21に「モクモク ワクワク ヨコハマ ヨーヨー」(1994年)を設置している。カタカナのリズミカルなタイトルと、構造的でありながらも軽快な形を有する作品は、今も多くの人々に愛されている。

出 典:『日本美術年鑑』令和元年版(522-523頁)
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「最上壽之」『日本美術年鑑』令和元年版(522-523頁)
例)「最上壽之 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995811.html(閲覧日 2024-10-07)

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