田辺三重松
行動美術協会会員の洋画家、田辺三重松は、12月9日午前11時30分、東京都練馬区の自宅で心臓喘息発作のために死去した。享年74才であった。田辺三重松は、明治30年(1897)9月1日、函館市の商家に生まれ、大正5年(1916)北海道庁立函館商業学校を卒業した。その後洋画を独習、昭和3年(1928)15回二科展に二点が初入選、また道展に入選、長官賞をうけた。石井柏亭、安井曾太郎、児島善三郎らの指導をうけ、二科展に出品を続け、昭和18年(1943)二科会会員に推挙された。戦後は、昭和20年(1945)同志と行動美術協会を設立し、雄大な北海道風景を大きな筆勢で描いた風景作品を発表してきた。
略年譜
昭和3年(1928) 「荷揚げ場」「花草」の二点が二科展(15回)に初入選。
昭和4年 「夏の曇り日」「港の午後」(二科展)
昭和5年 「造船場町」(二科展)
昭和6年 「北国早春の展港」「寿子立像」(二科展)
昭和7年 「トラピスト修院の夏」「ハリスト教会堂」(二科展)
昭和9年 「五稜廊」「白き溶岩と駒ヶ岳」(二科展)
昭和10年 「チキユ岬」「淀泊」(二科展)
昭和11年 「初秋大沼」「飛沫」(二科展)、この年二科展特待となる。
昭和13年 「夏の洞爺湖畔」「羽黒山参道」「北洋の荷揚げ」二科会会友に推される。
昭和14年 「有珠岳」「燈台の見ゆる岬」(二科展)。大陸前線部隊報道班からの依頼により、野戦絵画展覧会に特別出品する。
昭和15年 「新緑の港」「入江夏景(北海道有珠湾)」(二科展)。紀元二千六百年奉祝展に出品。
昭和16年 「初夏の山容」「船」(二科展)
昭和17年 「岬の午後」「晩春の耕地風景」、二科賞を受ける。
昭和18年 「湿地と這松」「残雪のある漁港」、二科会会員に推挙される。北部軍報道部員として北千島派遣部隊に従軍し、新聞紙上に北方通信を連載する。
昭和20年 11月、行動美術協会創立に参加する。全北海道美術協会創設に参画する。
昭和22年 「緑の池畔」「おつけの浜」「夏の展望」(行動2回展)
昭和24年 北海道文化賞を受賞
昭和25年 北海道新聞文化賞を受賞する。
昭和26年 「原始林」「雪影」「時雨ふる山湖」(行動6回展)
昭和28年 「碧い湖(摩周)」「白い林(阿寒)」「朝霧(阿寒)」(行動8回展)
昭和30年 「湖畔の白樺」「大雪山と山峡」(行動10回展)
昭和31年 「函館港風景」「秋の草原」「断崖の海」(行動11回展)。厚生省の依頼により国立公園「夏の中禅寺湖」を制作する。
昭和32年 「夏の大雪山」(行動12回展)。この年、函館市より東京練馬区に転居する。
昭和33年 「開墾地」「秋晴るる山湖」「白い裸樹」(行動13回展)
昭和34年 「黒い林」「芦の湖畔」「白い断崖」「噴煙の山」(行動14回展)
昭和35年 「雌阿寒噴煙」「夏の横浜港」(行動15回展)。「昭和新山」文部省買上げとなる。
昭和37年 「草原」「はまなすの砂丘」「白い砂浜」(行動16回展)
昭和38年 「積丹の海」「夏の雌阿寒岳」(行動17回展)
昭和38年 国際具象派展に出品、6月~12月アメリカを経てヨーロッパへ旅行する。
昭和39年 「グランドキャニオン」「フィヨールドの船着場」(行動19回展)
昭和40年 「支笏湖」「燈台のある草原」(行動20回展)。東京日本橋高島屋にて個展「スイスとノルウェーの山」を開催する。
昭和41年 「黒岳と桂月(大雪山)」「霞沢岳と梓川」(行動21回展)
昭和42年 網膜剥離症を病み、右眼失明。
昭和43年 「日高の浜」「氷海」(行動23回展)
昭和44年 「神威岬」「十勝岳」(行動24回展)
昭和45年 「昭和新山」「照りかげる裏大雪」(行動25回展)。東京銀座彩壺堂において個展を開催する。
昭和46年 「噴煙桜島」「早春富士」(行動26回展)。12月9日死去し、14日東京築地本願寺において行動美術協会葬として葬儀が行なわれた。
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「田辺三重松」『日本美術年鑑』昭和47年版(94頁)
例)「田辺三重松 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9417.html(閲覧日 2024-10-07)
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