松岡寿

没年月日:1944/04/28
分野:, (洋)
読み:マツオカ, ヒサシ*、 Matsuoka, Hisashi*

 洋風画界の長老元東京高等工芸学校校長松岡寿は、4月28日横須賀市の自宅に於て、慢性腸カタルのため逝去した。享年83。文久2年2月5日岡山に生れた。父は岡山藩士松岡隣にして、洋学研究の先駆者であつた。明治5年11歳の時父に従つて東京に移つた。同年川上冬崖の聴香読画楼に入門して初めて西洋画法を問い、又陸軍省偏教師仏蘭西人アベル・ゲリノーに就て図学を学んだ。明治9年工部美術学校に入学し、アントニオ・フォンタネージに師事した。同11年フオンタネージの後任フェレッチに慊らず、同志と退学して十一字会を組織し研鑚に努めた。同13年羅馬に留学し、羅馬美術学校名誉教授チェザーレ・マッカーリ Cesare Maccari に師事し、同16年国立羅馬美術学校に入学した。明治20年同校を卒業し、同年10月巴里に移り、翌21年11月帰京した。同22年同士と共に明治美術会を組織し、洋風画の啓発に努めた。同会展覧会に「父の像」「売卜者」等を発表した。又同25年には明治美術会に属する明治美術学校の創立に参画し、その経営と指導に尽瘁した。明治23年第3回内国勧業博覧会以来、屡々内外博覧会 鑑審査官となり、明治40年文部省美術審査委員会の設置と共に委員に選ばれ、大正2年第7回文部省美術展覧会に及んだ。又夙く明治30年に農商務省商品陳列館長に任ぜられ特許局審査官を兼ね、大正2年農商務省の図案及応用作品展覧会の創設に尽力してその審査員となり、美術工芸の発達に寄与するところがあつた。又教育家としては、明治25年以来工科大学造家学科の装飾画及び自在画の授業を担当し、明治39年には東京高等工業学校教授に任ぜられ、工芸図案科長となり、大正3年東京美術学校教授を兼ねた。同8年東京高等工芸学校創立委員を嘱託され、同10年同校々長に任ぜられ、多くの後進を誘掖した。その生涯の業績は、美術教育家或は行政家として大きいが、作家としては伊太利亜の官学派を伝え、上述の作品のほか、留学時代の「西班牙闘牛者」「伊太利ベルサリエーレの歩哨」大正7年大阪公会堂の為に描いた天井壁画「伊邪那岐・伊邪那美の二神の図」、昭和3年明治神宮絵画館のために描いた壁画「兌換制度御設定」昭和14年製作の「海老名弾正氏肖像」等がある。
略年譜
文久2年 2月5日岡山藩山屋敷に生る、父は岡山藩士松岡隣、母は同藩士人見宗元の妹なり
明治5年(11歳) 父に従い東京に移る、川上冬崖の聴香読画楼に入門洋画を学ぶ、陸軍省雇教師仏国人アベル・ゲリー氏に図学を学ぶ
明治9年(15歳) 工部大学校附属美術学校創設せられ、これに入門しアントニオ・フォンタネージに師事す
明治11年(17歳) フォンタネージの後任フェレッチに慊らず同志と退校願書を出す、同志と十一字会なる団体を組織して研鑚に力む
明治13年(19歳) 伊太利、羅馬に留学す、羅馬美術学校名誉教授Cesare Maccariに師事す
明治16年(22歳) 国立羅馬美術学校に入学す
明治20年(26歳) 羅馬美術学校卒業証書を受く、羅馬を去り巴里に移る
明治21年(27歳) 10月帰朝す
明治22年(28歳) 同志と明治美術会を組織す、10月任陸軍教授叙奏任官5等
明治23年(29歳) 第3回内国勧業博覧会審査官被付
明治25年(31歳) 明治美術会附属美術学校に於て洋画を指導す、工科大学講師を嘱託さる、臨時博覧会事務局監査官被仰付
明治28年(34歳) 第4回内国勧業博覧会審査官被仰付、妙技2等賞を授けらる
明治30年(36歳) 農商務省商品陳列館技師に任ぜられ、商品陳列館長を命ぜらる、兼任農商務省特許局審査官
明治32年(38歳) 農商務省特許局審査官臨時博覧会鑑査官被仰付
明治33年(39歳) 東京高等師範学校洋画講師を嘱託さる
明治36年(42歳) 第5回内国勧業博覧会審査官並に臨時博覧会鑑査官被仰付
明治39年(45歳) 任東京高等工業学校教授叙高等官4等
明治40年(46歳) 東京勧業博覧会審査官を嘱託さる、美術審査委員会委員被仰付
明治42年(48歳) 日英博覧会鑑査官被仰付
明治43年(49歳) 美術審査員被仰付、伊太利万国博覧会美術品出品鑑査委員を嘱託さる
明治44年(50歳) 美術審査委員被仰付
明治45年(51歳) 第2回東京勧業展覧会審査員を嘱託さる、美術審査委員被仰付
大正2年(52歳) 美術審査委員会委員被仰付、農商務省第1回図案及応用作品展覧会審査委員を嘱託さる
大正3年(53歳) 東京大正博覧会第二部出品鑑査員、博覧会審査官を嘱託さる、第2回図案応用作品展覧会鑑査委員を嘱託さる、臨時博覧会鑑査官被仰付、兼任東京美術学校教授、叙高等官3等
大正4年(54歳) 第3回図案及応用作品展覧会審査員を嘱託さる
大正5年(55歳) 第4回図案及応用作品展覧会審査員を嘱託さる
大正6年(56歳) 大阪公会堂壁画の揮毫を完成す、第5回図案及応用作品展覧会審査員を嘱託さる
大正7年(57歳) 第6回工芸展覧会審査委員を嘱託さる
大正8年(58歳) 工芸審査委員会委員被仰付、東京高等工芸学校創立委員を嘱託さる
大正9年(59歳) 工芸審査委員会委員被仰付
大正10年(60歳) 工芸審査委員被仰付、任東京高等工芸学校長、叙高等官2等、1級俸下賜
大正11年(61歳) 叙勲4等賜瑞宝章、工芸審査委員会委員被仰付
大正12年(62歳) 依願免東京高等工芸学校長
大正14年(64歳) 任東京高等工芸学校長叙高等官2等、1級俸下賜
大正15年(65歳) 工芸審査委員会委員被仰付
昭和2年(66歳) 叙勲3等賜瑞宝章、日仏展覧会委員嘱託
昭和3年(67歳) 明治神宮聖徳壁画兌換制度御治定の図を完成す、陞叙高等官1等、依願免東京高等工芸学校長、仏蘭西政府よりL. Officier de instruction Publique章を贈らる
昭和10年(74歳) 東京府養生館歴史画仁徳天皇の図を描く
昭和12年(76歳) 東京府養生館歴史画皇太子殿下御外遊の図を完成す
昭和19年(83歳) 4月28日没

「*」の読み、ローマ字表記はWeb NDL Authoritiesを利用
出 典:『日本美術年鑑』昭和19・20・21年版(91-92頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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