小柴錦侍
洋画家小柴錦侍は、3月24日直腸癌のため死去し、東京四谷イグナチオ教会で葬儀が行われた。享年72歳。明治22年日本に於ける石版印刷の創始者として有名な、小柴英の二男として、東京都千代田区に生れた。九段暁星中学を終え、明治44年東京高等工芸学校を卒業後フランスに留学、9年間同地に滞在し、大正9年帰朝した。フランスではモーリス・ドニのアカデミー・ランソンに入学し、更にルーブル美術館学校に学び、欧州各国の絵行脚等もしている。帰国後は帝展に宗教画を多く発表し、第2回帝展「美しき五月マリアの月」、第4回「花つみて主の御母にささぐ」第7回「卒世やさしいサンタ・マリア」等があり、いづれも特選になっている。日本では、松岡寿、満谷国四郎、和田英作等に教えをうけ、帝展の他、創元会にも出品がみられる。戦時中は、軽井沢星野温泉に疎開し、制作をつづけていた
出 典:『日本美術年鑑』昭和37年版(124頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「小柴錦侍」『日本美術年鑑』昭和37年版(124頁)
例)「小柴錦侍 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9127.html(閲覧日 2025-04-26)
例)「小柴錦侍」『日本美術年鑑』昭和37年版(124頁)
例)「小柴錦侍 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9127.html(閲覧日 2025-04-26)
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- ■明治大正期書画家番付データベース
- 1923(大正12) 大正拾弐年度改正東西画家格付表_806936
- 1923(大正12) 大正十二年帝國絵画番付_807086
- 1937(昭和12) 改訂古今書画名家一覧表 附古今書画名家印鑑譜_807016
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