江藤哲

没年月日:1991/09/21
分野:, (洋)

日展参与、東光会会員の洋画家江藤哲は、9月21日午後5時30分、肺動脈りゅう破砕のため鹿児島市の病院で死去した。享年82。明治42(1909)年5月21日、大分県東国東郡に生まれる。本名哲。大分県東国東郡竹田津尋常小学校を経て、昭和2年同県杵築中学校を卒業。同3年東京高等工芸学校図案科に入学。和田香苗永地秀太に師事。同4年同舟舎に通い始める。同6年東京高等工芸学校図案科を卒業し、通産省特許局に勤務する。同局には工芸学校時代の校長であった松岡寿がいた。同8年熊岡美彦の主宰する熊岡道場に通い始め、同年第14回帝展に「人物」で初入選。翌9年第2回東光展に「緑の着物」「像」で初入選し、第15回帝展にも「黒衣座像」で入選する。同11年第4回東光展に「四人」「画架の前」を出品してY氏奨励賞受賞。同12年第5回同展に「緑衣」「レストラン」を出品して東光賞を受け、翌13年同会会友となる。同14年第7回東光展に「猫の居る庭」「室内」「庭」を出品して再びY氏奨励賞を受け同会会員に推される。戦後も日展、東光展に参加し、同22年第3回日展では小出楢重の自画像に触発されて描いた「画家の像」で特選受賞。同40年日展会員となる。同43年特許庁を退職し、同年夏に欧州へ渡りオランダ、イタリア、ギリシア、スペイン、フランスを3カ月間巡遊。同48年夏にも欧州を旅した。同52年東光会副理事長、同53年日展評議員となり、同55年第12回日展に「静物」を出品して内閣総理大臣賞を受けた。同61年日展参与、翌62年日展評議員となる。特許庁を退いた後、毎年個展を開く一方、同46年より56年3月まで名古屋芸術大学教授として後進を指導。また同47年より隔年で『江藤哲デッサン画集』を出版。平成2年には人物、風景、静物、デッサンの4巻からなる『江藤哲画集』を刊行している。人物、風景、静物と幅広い題材を描き、堅持な写実にもとづきながら、モティーフを知的に配置し、面的にとらえる落ちついた画風を示した。

帝展、新文展、日展出品歴
第14回帝展(昭和8年)「人物」、第15回「黒衣座像」、文展鑑査展(同11年)「裸婦群像」、第1回新文展(同12年)「二人」、第2回「母子」、第3回「人物」、紀元2600年奉祝展(同15年)「二人」、第1回日展(同21年春)「花と少女」、第2回(同年秋)「花」、第3回(同22年)「画家の像」(特選)、第5回「画家の像」、第6回「夏の子供達」、第7回「雨と子供」、第8回「海浜」、第9回「座像」、第10回(同29年)「座像」、第11回「座像」、第12回「座像」、第1回社団法人日展(同33年)「座像」、第2回「座像」、第3回「座像」、第4回「父子」、第5回「座像」、第6回「夏」、第7回「魚屋」、第8回「屋台店」、第9回「夏」、第10回「朝市」、第11回「夏」、第1回改組日展「初秋」、第2回「野道」、第3回「静物」、第4回「菖蒲花」、第5回「静物」、第6回「静物」、第7回「静物」、第8回「静物」、第9回「小菊のある静物」、第10回(同53年)「室内静物」、第11回「室内静物」、第12回「静物」、第13回「室内静物」、第14回「野菊」、第15回「犬吠埼」、第16回「犬吠埼」、第17回「糸車のある静物」、第18回「がくあじさいの花のある静物」、第19回「犬吠埼風景」、第20回(同63年)「果物のある静物」、第21回「松林」

出 典:『日本美術年鑑』平成4年版(303頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「江藤哲」『日本美術年鑑』平成4年版(303頁)
例)「江藤哲 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10419.html(閲覧日 2024-03-29)

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