中西夏之

没年月日:2016/10/23
分野:, (美)
読み:なかにしなつゆき、 Nakanishi, Natsuyuki*

 現代美術家で、東京藝術大学名誉教授の中西夏之は、10月23日に脳梗塞のため死去した。享年81。
 1935(昭和10)年7月14日、現在の東京都品川区大井町に生まれる。54年、東京都立日比谷高等学校を卒業、東京芸術大学美術学部油画科に入学。58年に同大学を卒業、同期に島田章三、高松次郎工藤哲巳、磯部行久、山領まりがいた。58年7月、檪画廊にて個展開催。59年9月、村松画廊にて個展。63年5月、新宿第一画廊にて「赤瀬川原平高松次郎・中西夏之展」開催。この3人をメンバーに、「ハイレッド・センター」を結成。「ハプニング」と称して、パーフォーマンスなどの発表活動をはじめる。64年1月-2月、南画廊にて、荒川修作、三木富雄、工藤哲巳、菊畑茂久馬、岡本信治郎、立石紘一とともにヤングセブン展に出品。65年、土方巽演出・振付の暗黒舞踏派公演にあたり舞台美術を担当。66年、通貨及証券模造取締法違反を問われ、被告となった赤瀬川原平の「千円札裁判」で、証言及び作品の提示を行う。69年、美学校に「中西アトリエ」を開設、72年には同学校にて「中西夏之・素描教場」を開設、翌年にかけて制作指導にあたる。75年9月、西武美術館にて「日本現代美術の展望」展に出品。
 80年11月、雅陶堂ギャラリーにて個展。絵画に復帰。83年、同ギャラリーにて個展「中西夏之 紫・むらさき」を開催、油彩画シリーズ「紫・むらさき」を発表。85年7-8月、北九州市立美術館にて「中西夏之 Painting 1980―85」展を開催。1989(平成元)年4月、西武美術館にて「中西夏之展」を開催。同年4月、筑摩書房より美術論集『大括弧 緩やかにみつめるためにいつまでも佇む、装置』を刊行。95年、愛知県美術館にて「中西夏之-<山上の石蹴り>へ」を開催。同年11-12月、神奈川県立近代美術館にて「着陸と着水 舞踏空間から絵画場へ 中西夏之展」を開催。96年4月、東京藝術大学美術学部絵画科教授となる。97年1-3月、東京都現代美術館にて「中西夏之展―白く、強い、目前、へ」を開催。2002年、名古屋市美術館にて「中西夏之«柔らかに、還元»の絵画/思索」展を開催。同年、愛知県美術館、愛媛県立美術館にて「中西夏之展 広さと近さ-絵の姿形」を開催し、絵画作品の大規模な回顧展となった。2003年、東京藝術大学大学美術館にて「二箇所-絵画場から絵画衝動へ―中西夏之展」を開催、油彩画の他、授業のドキュメントや資料を出品。同年、同大学教授を退官。2004年、倉敷芸術科学大学芸術学部教授となる。07年に退任。2008年4月-5月、渋谷区立松濤美術館にて「中西夏之新作展 絵画の鎖・光の森」を開催。2012年10月-13年1月、DIC川村記念美術館にて「中西夏之 韻 洗濯バサミは攪拌行動を主張する 擦れ違い/遠のく紫、近づく白斑」展を開催。
 60年代の「ハプニング」など反芸術的な活動から始ったが、70年代の「山上の石蹴り」のシリーズから、「紫・むらさき」のシリーズを経て、晩年まで描く自身の身体性を強く意識して、平面に向き合うという「絵画」表現の本質を追求した、現代絵画において類まれな画家であったといえる。

出 典:『日本美術年鑑』平成29年版(559頁)
登録日:2019年10月17日
更新日:2019年10月17日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「中西夏之」『日本美術年鑑』平成29年版(559頁)
例)「中西夏之 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/818856.html(閲覧日 2021-01-27)

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