朝倉響子

没年月日:2016/05/30
分野:, (彫)
読み:あさくらきょうこ

 彫刻家の朝倉響子(本名、朝倉矜子)は5月30日、腸閉塞で死去した。享年90。
 1925(大正14)年12月9日、彫刻家・朝倉文夫の次女として東京に生まれる。姉は日本画家、舞台美術家として活躍した朝倉摂(本名、富沢摂)。父文夫の方針により学校へは通わず、義務教育の内容は家庭教師より教わった。はじめは姉摂とともに絵を描いていたが、彫刻を制作するようになり、1939(昭和14)年には9月に東京府美術館にて開催された第12回朝倉彫塑塾展覧会へ、「習作(第一)」「習作(第二)」「手習作」「手習作(イ)」「手習作(ロ)」の5点を出品している。42年10月第5回新文展に「望」で初入選を果たし、翌43年の第6回展には「あゆみ」を、46年3月の第1回日展には「慈」を出品。同年10月の第2回日展へ出品した「晨」にて特選を受賞した。以後も「萌」(第3回展、1947年)、「作品S」(第6回展、1950年)、「Mlle S.」(第7回展、1951年)で特選受賞。52年の第8回展、57年の第13回展では審査員を務めるも、以後同展への出品はしていない。新文展や日展への出品作はいずれも女性を題材にしたもので、多くは裸体の立像であった。また47年の第3回展までは、本名の矜子で出品していた。54年5月第1回現代日本美術展へ「首」を出品、以後も8回展(1968年)まで毎回出品をする。58年4月新聞を配る少年保護育成の会の依頼で約1年をかけて制作した新聞配達の少年像が完成、翌月麻布有栖川宮記念公園に設置された。この像がきっかけとなり、61年には神田錦町の製本業者からの依頼で製本工の像を制作している。59年5月第5回日本国際美術展へ「男の顔」を出品、以後9回展(1967年)まで毎回出品する。60年春、それまで父文夫のアトリエの一隅を仕切って制作を行っていたが、本郷千駄木町にアトリエを新設。61年10月文藝春秋画廊にて初の個展を開催する。この頃には形ではなく、対象の内奥と自身の精神とが混ざり合った「意味」を造形化しなくてはと考えていたという。65年1月朝日新聞社主催の第16回選抜秀作美術展に「ともえさん」(第6回現代日本美術展、1964年)が選抜出品、同作は翌月文部省買上となった。67年11月ギャラリー・キューブにて個展開催、石彫、ブロンズによる作品10余点を出品する。なかでも3点のトルソでは形態の単純化、抽象化が見られた。こうした傾向は70年4月の個展(ギャラリー・ユニバース)でも引き続き見られ、ブロンズによる具象的な人物像と石彫によるトルソという、彫塑と彫刻の両方が試みられた。また60年代後半頃よりブロンズによる女性像には着衣のものが多く見られるようになり、70年の個展では、「アヤ」「リサ」「ユミ」「マヤ」などの女性名をタイトルにした作品も発表された。71年7月第2回現代国際彫刻展に「女」を招待出品。73年9月にはギャラリー・ユニバースで個展を開催、椅子に腰掛
け両足をまっすぐに伸ばした着衣の女性像である「WOMAN」
をはじめとしたブロンズ作品18点を発表する。74年9月第2回現代彫刻20展に「WOMAN」「WOMAN」「FACE・S」を招待出品(第3回展、75年にも招待出品)。70年代後半頃より、それまでのデッサンにかわってモデルの写真を撮るようになり、その写真から対象のイメージを引き出し、造形化するという新しい方法での制作を行うようになる。78年10月の個展(ギャラリー・ユニバース)では、有名歌手やファッションモデルをモデルに制作した作品を発表。79年布施明をモデルにした「F(後に「憩う」と改題)」で第7回長野市野外彫刻賞を受賞する。80年1月写真家の奈良原一高が撮影を担当した写真集『光と波と 朝倉響子彫塑集』(PARCO出版)を刊行。82年、前年の個展で発表した「ニケ(NIKE)」で第13回中原悌二郎賞優秀賞を受賞する。85年9月には写真家安斎重男の撮影による写真集『KYOKO』(PARCO出版)の刊行を記念して、渋谷のパルコパート3内のスペースパート3にて個展を開催。会場には安斎の写真もともに展示された。同会場では88年9月、1993(平成5)年3月にも個展を開いている。2000年9月現代彫刻センターにて個展開催。同年11月には大分県の朝倉文夫記念文化ホールにて、70年代からの作品38点に野外設置作品の大型プリント9枚を加えた回顧展「愛の園生 朝倉文夫記念公園開園10周年記念 朝倉響子展」が開催された。03年12月北九州市立美術館にて回顧展「朝倉響子展―ときの中で―」開催。10年1月上野の森美術館ギャラリーにて個展を開催。歿後の16年9月には、初の父娘三人展である「朝倉文夫 摂 響子 三人展」が朝倉彫塑館にて開催された。
 野外設置の作品も多く、主なものに「WOMAN」(町田駅北口)、「ふたり」(仙台市・西公園)、「約束の像」(小田急線新宿駅(後に小田急百貨店新宿店内に移設))、「フィオーナとアリアン」(東京・教育の森公園)、「マリとシェリー」(東京芸術劇場)などがある。

出 典:『日本美術年鑑』平成29年版(544-545頁)
登録日:2019年10月17日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「朝倉響子」『日本美術年鑑』平成29年版(544-545頁)
例)「朝倉響子 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/818746.html(閲覧日 2024-04-25)

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