西村龍介

没年月日:2005/02/21
分野:, (洋)
読み:にしむらりゅうすけ

 点描によってヨーロッパの古城を描いた作品で知られる洋画家の西村龍介は21日午後6時38分、急性心筋梗塞のため長野県軽井沢市の病院で死去した。享年85。1920(大正9)年2月8日、山口県小野田市に生まれる。本名一男。小野田尋常小学校を経て、1935(昭和10)年山口市立大殿尋常高等小学校を卒業する。この間の34年、両親と死別。36年、上京し、38年4月、日本美術学校日本画科に入学。太田聴雨川崎小虎矢沢弦月らに学び、またデッサンを洋画家の林武に学ぶ。41年3月、同校を卒業と同時に出征。45年、特攻隊員として沖縄戦へと向かう途中に終戦を迎え、郷里山口市に復員する。市内の古刹瑠璃光寺の一室を画室兼居所として日本画を制作し、46年山口市八木百貨店で初めての個展を開催して日本画18点を展示する。この頃、三好正直らと山口市展、山口県展を創設する。49年、京都市立美術専門学校研究科に入学。50年同校を中途退学し、2月に上京。企業の博覧会の背景画などを描いて生計を立てつつ画家を志し、制作の準備に時間がかかる日本画から油彩画へ転向して龍介と名乗る。54年第39回二科展に「河岸」で初入選。56年第41回二科展に「月のある風景」「鳥と植物」を出品し、特待受賞。57年に二科会会友となる。59年サロン・ド・コンパレゾン展に招待出品。同年第44回二科展に「故園」「花」を出品して二科金賞を受賞。翌年二科会会員となる。63年第48回二科展に「風景(A)」「風景(B)」を出品し、同会会員努力賞を受賞。64年2月に渡欧しフランス、スペイン、イタリア、ベルギーを旅行して7月に帰国。この旅でその後の主要モティーフとなる古城、聖堂、ヴェネツィア風景などと出会う。67年サロン・ドートンヌに「風景」を招待出品。68年第53回二科展に「古城」「館」を出品して二科会青児賞を受賞。69年第54回二科展に「聖堂」「遥かなる聖堂」を出品して二度目の会員努力賞を受賞する。70年再渡欧。71年第56回二科展に「古城幻影」「城」を出品し、内閣総理大臣賞受賞。71年より82年まで毎年渡欧。83年1月「森と城と水の詩情の世界 西村龍介展」が銀座・松屋で開催され、初期から近作までが出品される。88年銀座のフジヰ画廊で西村龍介個展「水の抒情詩」を開催。89年昭和63年度(第39回)、前年の個展に対し、「日本画と洋画の技法を巧みに融合した日本的詩情豊かな独自の油彩表現を円熟の域に高め」たとして芸術選奨文部大臣賞を受賞。その後も二科展に出品を続け、97年東京八重洲の大丸ミュージアムで「喜寿記念・西村龍介展」を開催。2000年二科会を退会。同年、ハウステンボス美術館で「ヨーロッパ水辺の城 西村龍介展」を開催する。60年代の渡欧で得た古城の静かなたたずまいを、端正な構図、淡い色調の点描で描き、静謐な画風を示した。画集には『西村龍介画集』(講談社 1979年)がある。 

出 典:『日本美術年鑑』平成18年版(382-383頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「西村龍介」『日本美術年鑑』平成18年版(382-383頁)
例)「西村龍介 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28322.html(閲覧日 2024-04-25)

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