バーナード・リーチ

没年月日:1979/05/06
分野:, (陶)

英国人陶芸家で、日本にも深い関わりをもち、かつ国際的にも知られるバーナード・リーチは、5月6日イングランド南西部の漁村セントアイブスで死去した。享年92。リーチは1887(明20)年植民地の判事を父に香港で生まれ、生後間もなく母と死別し、京都在住の祖父のもとに引取られた。90年香港に戻り、97年帰国してロンドンのスレート美術学校でエッチングを学んだ。1909年再度来日し、新しいエッチングを紹介するつもりのところ、翌年陶芸家富本憲吉を知り、陶芸に興味をもつに至った。12年六代目尾形乾山に入門し、また白樺派の武者小路実篤、志賀直哉、柳宗悦浜田庄司らと親交を得、柳宗悦の民芸運動にも参加して、16年には柳宗悦邸内に仕事場を設けて作陶にはげんだ。20年親友浜田庄司を伴って帰国し、セントアイブスに窯を築いた。戦後は米国、北欧などでも陶芸を指導し、また日本でも屡々の個展を開催するなど陶芸を通じて東西両文化の橋渡しの役割を果たした。セントアイブスに窯を築いて以来50年以上にわたる陶芸活動はイギリスをはじめ世界の陶芸界に大きく貢献したが78年浜田庄司死去のころから視力衰え健康もすぐれなかった。生涯の作陶は10万点以上といわれるが、手元に置いていた作品の殆どは、イングランド西武バス市の20世紀工芸博物館に寄贈したといわれる。死去時新聞報道による哲学者谷川徹三氏の談話では、1974年来日した際殆ど失明状態であったという。またリーチは日本から多くの影響を受けたが、一方では彼の紹介による英国の民芸から浜田庄司が影響を受けたということもあり、日本の陶芸界にとっては忘れられない恩人であるとその死を悼んでいる。そしてその作品は、浜田庄司にも河井寛治郎にも及ばないが、世界的作家であることも確かであると述べている。著書に「陶工の本」(1940)「日本絵日記」(1955)「乾山」(1967)等があり、1969年来日時東京新聞に「十年目の日本」(1~5、1・3、4、5、6、9)を寄稿している。なお長男デービットも現在陶芸家として活躍中である。

出 典:『日本美術年鑑』昭和55年版(282頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「バーナード・リーチ」『日本美術年鑑』昭和55年版(282頁)
例)「バーナード・リーチ 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9783.html(閲覧日 2024-04-25)

以下のデータベースにも「バーナード・リーチ」が含まれます。
to page top