太田熊雄

没年月日:1992/06/24
分野:, (工)

 民陶小石原焼の第一人者として知られる陶工太田熊雄は、6月24日午前8時41分、肝臓障害のため福岡県東区の九州大学病院で死去した。享年80。明治45(1912)年6月12日、福岡県朝倉郡に生まれる。昭和元(1926)年、小石原尋常小学校を卒業。同年より父や兄に小石原焼を習う。一時人形師を志したが難聴のため断念。以後本格的に小石原焼にとりくみ、同13年分家独立した。同16年第1回日本民芸協会九州沖縄民窯展に「壷」を出品して日本民芸協会賞受賞。同21年第1回九州民芸展では「茶壷」で最優秀夕刊フクニチ賞一等賞、「どびん」で九州民芸協会賞一等賞を受賞。同26年、柳宗悦が九州の民芸振興に訪れた際に知遇を得、自らの道に指針を得た。さらに同29年陶芸家バーナード・リーチに出会い、洋風の器物製作などに一知見を得た。同32年日本・ソ連外交関係復活記念現代日本工芸美術展入選作「壷」がソ連政府買上となる。同34年ベルギー万国博覧会に「かめ」「虚無僧蓋壷」「一斗入雲助」を出品し、グランプリ賞ならび日本貿易振興会理事長賞を受け、「民芸」を世界に紹介する契機をつくった。また同年、それまで小石原皿山の慣習であった窯元組織に従って共同窯をまわって制作していたのをやめて個人窯を開き、小石原焼の旧習に新風を送りこんだ。同36年第2回日本民芸展で日本工芸館賞受賞。同38年の同展では「虚無僧蓋壷」で日本民芸館大賞を受賞。その後も日本民芸展、西部工芸展等に出品して受賞を続ける。同55年伝統工芸士に認定され、同年より伝統工芸士会会長をつとめた。同63年には国際芸術文化功労賞を受賞。生活の中に生きる民芸の本質を実用性に認め、実用性が長い歴史の中で練り上げてきた単純で大らかな形の器に釉薬をたらす素朴な味わいのある作風を示した。同43年より福岡県工芸部会参与、翌44年より45年まで日本民芸館展審査員、同59年には福岡県陶芸作家協会顧問をつとめ、九州の伝統工芸、民芸の振興に寄与するとともに、同39年より41年まで小石原区長をつとめるなど、郷里の発展につくした。昭和47年に『根性の窯』が刊行されているほか、没後に長男孝宏、孫光廣の作品と共に遺作の展観された「三代の炎展」(太田熊雄窯主催、平成5年6月)の際、『太田熊雄窯三代の炎展』(太田熊雄製陶所発行)が刊行されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成5年版(320頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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