黒田重太郎

没年月日:1970/06/24
分野:, (洋)

 洋画家黒田重太郎は、6月24日老衰のため京都市北区の自宅で逝去した。享年82歳。黒田重太郎は明治20年9月20日滋賀県大津市で生れたが、幼、少年期を大阪で過し、明治37年京都で鹿子木孟郎に洋画を学び、、翌38年浅井忠の門に入った。大正元年第6回文展に「尾之道」が初入選となり、同7年9月渡仏、帰国後大正8年第6回二科展にピサロの影響をみせる滞欧作「ケルグロエの夏」以下14点を特陳し二科賞を得、会員となった。大正10年再び渡仏しアンドレ・ロートの影響をうけ「港の女」「レスカール」「水浴の女」などキュビックな作品を帰国後の大正12年第10回二科会展に発表し二科会々員となった。第1回渡仏では画作の傍ら西洋美術史を学び、第2回渡仏では画論、技法史等を学び「セザンヌ以後」(大正8年)、「構図の研究」(大正14年)の著書がある。昭和18年二科会を脱会し、22年4月、同志9人と第二紀会を創立、以来同会に出品していた。また大正13年以来、鍋井克之、小出楢重等と信濃橋洋画研究所を開設、又昭和12年全関西洋画研究所を設立するなど関西を中心に後進の育成に尽していた。22年京都市立美術専門学校教授となり、京都市立美術大学洋画科主任教授を経て38年4月退官。同大名誉教授。44年芸術院恩賜賞受賞。二紀会名誉会員であり関西洋画界の最長老であった。なお著書に前記の他「小出楢重の生涯と芸術」(昭和30年、美術出版社)、「画房随筆」(昭和17年)その他10余種がある。二科会展における主な出品画は「三部作・閑庭惜春」(昭和8年)、「晩桜」(昭和9年)、「肇暑」(昭和11年)、「湖雨欲晴」(昭和18年)。なお、二紀会展における主な出品は「枯山水石組」(昭和28年)、「風の湖」(昭和29年)、「冬澗」(昭和30年)など。

出 典:『日本美術年鑑』昭和46年版(101頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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