坂倉準三

没年月日:1969/09/01
分野:, (建)

 建築家、前日本建築家協会会長の坂倉準三は、9月1日午後3時10分、心筋コウソクのため東京都港区の自宅で死去した。享年68歳。明治34年5月29日岐阜県羽島市に生まれた。昭和2年東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業。1929年からパリ大学エコール・スペシャル・デ・トラヴォ・ピュブリックにて建築を修学、’31年~’36年パリ市・ル・コルビュジェ建築事務所に於て建築並びに都市計画の設計監理の実務を研究。’36年~’39年パリ万国博日本館の設計監理に当り、’37年には万博建築大賞を受けた。’40年(昭和15年)坂倉準三建築研究所を創設。同年より’42年まで商工省の委嘱により輸出工芸指導官としてコルビュジェの協力者シャルロット・ペリアン女史を招き、日本の工芸美術刷新育成のための諸活動に協力した。戦後昭和21年から25年までには、連合軍司令部技術本部の委嘱により連合軍関係設営の設計を担当、以後没前まで、国の内外を問わず、精力的な活動を続けた。国内の主要設計作品には、神奈川県立近代美術館、羽島市庁舎、塩野義製薬研究所、新宿駅西口広場、神奈川県新庁舎、山口県立博物館、岐阜市民会館、日本万国博電力館があり、外国関係では、戦前のパリ万国博日本館の他、’55年-ドイツ・アウグスブルグにディーゼル記念日本石庭、’61年-ドイツ・ミュンヘンに日本住宅(書院造り)、’66年~9年-タイ国各地に専門教育学校25校を設計、’66年-日本駐仏大使公邸新築計画に協力、等がある。また日本建築家協会会長、建設省建築審議会委員、東京都建築審査会委員、通産省デザイン奨励審議会委員、国立西洋美術館評議員、神奈川県立近代美術館評議員などをつとめた。

出 典:『日本美術年鑑』昭和45年版(76頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「坂倉準三」が含まれます。
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