阪田誠造
建築家の阪田誠造は7月21日、心不全のため死去した。享年87。
1928(昭和3)年12月27日、大阪市に生まれる。大戦末期の45年に早稲田大学専門部工科建築科に入学、48年早稲田大学理工学部建築学科に編入学。51年同卒業後、坂倉準三建築研究所に入所。坂倉のもとで羽島市庁舎(1959年竣工、60年日本建築学会賞(作品)、2003年日本におけるDOCOMOMO100選)、新宿西口駅本屋ビル(1967年)、日本万国博覧会電力館(1969年)などの設計・監理を担当した。69年に坂倉が没した後、西澤文隆らとともに株式会社坂倉建築研究所を設立して同東京事務所長に就任、85~99年同社代表取締役、その後は同社最高顧問を務めた。
主宰アーキテクトの作家性よりも担当スタッフの発想を活かしながら共同作業で設計を練り上げていくことを尊重する姿勢を一貫し、大規模な組織事務所ともいわゆるアトリエ事務所とも一線を画しつつ、洗練されたデザインの良質な建築をコンスタントに生んできた。また、そのもとから独立して活躍する建築家も数多く輩出してきた。
ビラ・セレーナ(1971年)、東京都立夢の島総合体育館(1976年、77年日本建築学会賞(作品))、新宿ワシントンホテル(1983年)、横浜人形の家(1986年)、北沢タウンホール(1990年)、小田急サザンタワー・新宿サザンテラス(1998年、99年建築業協会賞特別賞、都市景観大賞)、聖イグナチオ教会(1999年)など、個人住宅から公共施設、オフィスビルまでを幅広く手掛けた。モダニズムの系譜に連なる一方で、理論よりも個別の敷地の場所性や設計者自らの感性に立脚して建築を作ることを坂倉や西澤から受け継いだと自ら語っている。その意味でも、特に阪田の代表的作品として位置づけられるのが東京サレジオ学園の一連の建築(1990年IV期竣工、89年村野藤吾賞、2014年日本建築家協会25年賞)であろう。スケールを抑えた打放しコンクリートと瓦屋根の園舎群が聖堂を焦点に一つの集落のような小世界を形作る。シャープな造形の外観と静謐な内部空間を併せ持つドンボスコ記念聖堂及び小聖堂は、建築家と施主のみならず彫刻やガラス工芸、家具、テキスタイルなどの芸術作家たちとの類まれな協働の成果でもあり、1989(平成元)年に吉田五十八賞および日本芸術院賞を受賞した。
90~91年新日本建築家協会副会長、93~99年明治大学理工学部建築学科教授を務めるなど、建築界の発展や教育にも貢献した。
共著に、『建築家の誠実-阪田誠造 未来へ手渡す』(建築ジャーナル、2015年)、『阪田誠造:坂倉準三の精神を受けついだ建築家』(建築画報社、2015年)がある。
登録日:2019年10月17日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「阪田誠造」『日本美術年鑑』平成29年版(548頁)
例)「阪田誠造 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/818776.html(閲覧日 2024-09-17)
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- ■美術界年史(彙報)
- 1989年12月 第14回吉田五十八賞決定
- 1990年03月 日本芸術院賞決定
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