田村孝之介

没年月日:1986/06/30
分野:, (洋)

二紀会理事長、日本芸術院会員の洋画家田村孝之介は6月30日午後9時45分、胃かいようのため東京都渋谷区の中央鉄道病院で死去した。享年82。明治36(1903)年9月8日、大阪市に生まれる。本名大西孝之助。大正9年上京して太平洋画会研究所に学ぶが、翌年大阪に帰り小出楢重に師事。同13年小出らが信濃橋洋画研究所を創立すると同所で修学し、ひき続き小出、鍋井克之の指導を受ける。同年第1回大阪市美術協会展に「静物」を初出品、同15年第7回中央美術展に出品し中央画界に登場する。昭和2年第14回二科展に「裸婦立像」「風景」で初入選。同11年同展に「薄衣」「噴水」「海風」を出品して奨励を受賞。翌12年二科会員に推される。戦後は二科会再建に参加せず宮本三郎らとともに9人の創立会員をもって二紀会を結成し、以後同会に出品を続ける。27年渡欧しフランス、オランダ、ベルギー、イタリア、スペインなどを巡って翌年帰国、同37年渡米し、7ケ月滞在の後ヨーロッパをまわって38年10月帰国する。以後たびたび渡欧し、ヨーロッパ風景を多く描く。49年宮本三郎の死去に伴い二紀会理事長に就任。59年日本芸術院会員となり、60年文化功労者として顕彰された。フォーヴ的な明るい色彩と装飾性を特色とする。著書に『スケッチの技法』(昭和33年、美術出版社)、『大阪 わがふるさとの……』(藤沢恒夫と共著、同34年、中外書房)があり、52年には『田村孝之介画集』(日動出版)が刊行された。

出 典:『日本美術年鑑』昭和62・63年版(321頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「田村孝之介」『日本美術年鑑』昭和62・63年版(321頁)
例)「田村孝之介 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10076.html(閲覧日 2024-03-29)

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