児玉幸雄

没年月日:1992/02/20
分野:, (洋)

西欧の広場を描いた作品で知られる洋画家児玉幸雄は2月20日午後9時5分、心不全のため東京都港区の前田外科病院で死去した。享年75。大正5(1916)年8月9日、大阪市に生まれる。関西学院大学の美術部弦月会に参加し田村孝之介に師事。昭和11(1936)年全関西洋画展に初入選し、翌12年第24回二科展に「赤い背景の人形」で初入選。その後二科展には連年入選。同14年関西学院大学経済学部を卒業したのち入隊。同15年紀元2600年奉祝展には二科会から推薦されて「戦線風景」を出品した。戦後は同22年に創立された二紀会に第1回展から参加し、同年同会同人となる。同25年第4回二紀展に「家族」「夏の庭」を出品して同人賞を、同27年第6回同展に「黒い上衣」「画室の親子」「働く家族」を出品して同人優賞を受賞。同年同会委員となる。同31年東京に転居。同32年渡欧し、同34年日本橋三越、大阪阪急百貨店で渡欧作品展を開いた。その後、同40年に欧州、アメリカ、メキシコを巡遊したほか、同44年に渡欧。同46年以降は平成3年まで毎年渡欧して、欧州各地、特にフランスの広場、市場の情景を主に描き、二紀会のほかに日動画廊、梅田画廊等での個展で制作を発表して人気を博した。同51年病をえて二紀会を退会。その後は個展を中心に作品を発表していた。初期には人形や着衣の婦人像を多く描いたが、渡欧後は異国の人々の生活感と活力がみなぎる広場を主なモティーフとし、堅牢なマチエルとさざめくような色面による画面構成で、具象画界の実力派として認められていた。著書に石版画集『フランスの四季』『パリーの街角』(昭和56年)、石版画集『素顔のパリー』(同58年)等がある。

出 典:『日本美術年鑑』平成5年版(311頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「児玉幸雄」『日本美術年鑑』平成5年版(311頁)
例)「児玉幸雄 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10425.html(閲覧日 2024-04-19)

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