澤田政廣

没年月日:1988/05/01
分野:, (彫)

木彫界の長老澤田政廣は、5月1日午後11時41分、急性肺炎のため東京都目黒区の本田病院で死去した。享年93。明治27(1894)年8月22日、静岡県熱海市に生まれる。本名寅吉。生家は製材業を営む。大正2(1913)年静岡県立韮山中学を中退し画家を志すが両親に反対され、翌年、遠縁にあたる木彫家山本瑞雲をたよって上京、その内弟子となる。同7年太平洋画会研究所に入り彫刻を学ぶ。10年第3回帝展に「人魚」を出品して初入選、翌年第4回展には「沃土」を出品。13年第5回帝展に「銀河の夢」を出品して特選を受賞する。同年東京美術学校彫刻別科に入学し朝倉文夫に師事。15年同校を卒業する。昭和2(1927)年第8回帝展に「白日の夢」を出品して特選受賞。翌3年「七姫」で、同4年「白鳳」で帝展3回連続特選となる。6年、日本木彫会が結成され、同会会員となる。帝展改組後も新文展、続いて日展に出品し、27年前年の第7回日展出品作「五木之精」で芸能選奨文部大臣賞、翌28年には第8回日展出品作「三華」で日本芸術院賞を受賞。33年日展評議員、37年日展理事となる。また、同年日本芸術院会員となる。48年文化功労者として顕彰され、54年文化勲章を受章する。ブロンズ彫刻隆盛の時期に、木彫による新方向を示して注目され、仏像、古代神話にもとづく神像、人物像を多く制作する。巨大な一木からノミ跡を残して彫り出す技法を多く用い、大らかで浪漫的な作風を示した。58年新潟県糸魚川市に谷村美術館(澤田政廣作品展示館)が設立され、62年熱海市に同市立澤田政廣記念館が開設された。

略年譜
明治27(1894) 8月22日、静岡県熱海町に父澤田小兵衛(製材業)、母とくの三男として生まれる。
大正2(1913) 静岡県立韮山中学校中退。画家を志したが両親の反対にあい断念。上京して遠縁に当る木彫家山本瑞雲宅に内弟子として入る。
大正7(1918) 太平洋画会研究所に入る。神田台所町に次兄と共に住む。
大正10(1921) 第3回帝展「人魚」初入選。
大正11(1922) 第4回帝展「沃土」出品。
大正12(1923) 11月、矢下とみと結婚。
大正13(1924) 第5回帝展「銀河の夢」特選。東京美術学校彫刻別科入学。
大正14(1925) 第6回帝展「太陽に向って」出品。
大正15(1926) 第7回帝展「影」出品。東京美術学校彫刻別科卒業。
昭和2(1927) 第8回帝展「白日の夢」出品。
昭和3(1928) 第9回帝展「七姫」特選。帝展無鑑査に推挙される。
昭和4(1929) 第10回帝展「白鳳」特選。
昭和5(1930) 第11回帝展「伊呂古の宮」出品。
昭和6(1931) 第12回帝展「白夜飛星」出品。同審査員をつとめる。日本木彫会の結成に参加し同会会員となる。
昭和7(1932) 第13回帝展「華炎」出品。日本木彫会「吉祥天」出品。
昭和8(1933) 第14回帝展「春の女神」出品。
昭和9(1934) 第15回帝展「白光」出品。同審査員をつとめる。
昭和10(1935) 帝国美術院改組に際し、参与に推挙される。
昭和11(1936) 文部省展覧会「光明仏身」「善魔魚身」出品。
昭和12(1937) 第1回新文展「火星鳥身」出品。同審査員をつとめる。
昭和13(1938) 第2回新文展「護持結身」出品。
昭和14(1939) 第3回新文展「聖観世音菩薩」出品。日本木彫会「春風」出品。
昭和15(1940) 5月、三木宗策らと共に正統木彫家協会を創立し第1回展に「紅衣笛人」出品。
昭和16(1941) 第4回新文展「神通」出品。
昭和18(1943) 第6回新文展「救世太子」出品。
昭和19(1944) 第7回新文展「天彦」出品。
昭和21(1946) 第1回日展「うづめの命」、第2回日展「赤童子」出品。両展とも審査員をつとめる。
昭和22(1947) 第3回日展「降魔」出品。
昭和23(1948) 第4回日展「男習作」出品。
昭和24(1949) 第5回日展「釈迦誕生」出品。
昭和25(1950) 第6回日展「十一面観音」出品。同審査員をつとめ、日展参事となる。
昭和26(1951) 第7回日展「五木の精」文部大臣賞。
昭和27(1952) 第8回日展「三華」出品。
昭和28(1953) 前年の日展出品作「三華」で日本芸術院賞受賞。第9回日展「愛子母」出品。
昭和29(1954) 第10回日展「母神」出品。
昭和30(1955) 第11回日展「大聖不動明王」出品。
昭和31(1956) 第12回日展「黄泉のしこめ」出品。号を晴廣から政廣へと改める。
昭和32(1957) 第13回日展「国立」出品。日本橋高島屋で個展。
昭和33(1958) 第1回社団法人日展「レダ」出品。同評議員となる。
昭和34(1959) 第2回社団法人日展「曼珠沙華」、日本国際美術展「海に立つおとたちばな姫」出品。日本橋高島屋で個展。
昭和35(1960) 第3回社団法人日展「蒼穹」出品。
昭和36(1961) 第4回社団法人日展「魚を持つ女」出品。明治書房より『澤田政廣作品集』刊行。
昭和37(1962) 日本芸術院会員、日展理事となる。第5回社団法人日展「炎神を生むイザナミノ命」出品。
昭和38(1963) 第6回社団法人日展「隠者」出品。
昭和39(1964) 第7回社団法人日展「このはなさくや姫」出品。
昭和40(1965) 第8回社団法人日展「稜風」出品。日展常務理事となる。
昭和41(1966) 第9回社団法人日展「救世に立ちあがる釈迦」出品。
昭和42(1967) 第10回社団法人日展「蝶と遊ぶ」出品。明治書房より『彫刻家のアトリエから–澤田政廣リトグラフ集』刊行。
昭和43(1968) 高野山金堂金剛王菩薩完成。第11回社団法人日展「白夢におそわれる稲田姫」出品。
昭和44(1969) 第1回改組日展「人魚」出品。明治書房より『みほとけを刻んで』刊行。
昭和45(1970) 第2回改組日展「長島選手」出品。名古屋松坂屋にて個展。
昭和46(1971) 第3回改組日展「笛」出品。日展顧問となる。3月台湾旅行。三越にて個展。
昭和49(1974) 第6回改組日展「出家」出品。
昭和50(1975) 第7回改組日展「不動明王」出品。
昭和51(1976) 第8回改組日展「レダ」出品。
昭和52(1977) 第9回改組日展「天人」出品。
昭和53(1978) 第10回改組日展「釈迦誕生」出品。
昭和54(1979) 第11回改組日展「彌勒菩薩」出品。
昭和55(1980) 第12回改組日展「弥勒菩薩」出品。
昭和56(1981) 第13回改組日展「十一面観音」出品。
昭和57(1982) 第14回改組日展「金剛王菩薩」出品。
昭和58(1983) 第15回改組日展「蓮華」出品。
昭和59(1984) 第16回改組日展「母子像」出品。
昭和60(1985) 第17回改組日展「釈迦三尊仏」出品。
昭和61(1986) 第18回改組日展「観世音菩薩」出品。
昭和62(1987) 第19回改組日展「大聖不動明王」出品。

出 典:『日本美術年鑑』平成元年版(262-263頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「澤田政廣」『日本美術年鑑』平成元年版(262-263頁)
例)「澤田政廣 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9920.html(閲覧日 2024-04-20)

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