里中英人

没年月日:1989/05/30
分野:, (工,陶)

文教大学教授の陶芸家里中英人は5月30日午後4時35分、交通事故による全身打撲のため茨城県猿島の友愛記念病院で死去した。享年56。昭和7(1932)年6月15日、名古屋市に生まれる。同30年東京教育大学芸術学科を卒業し、翌年同大学芸術学専攻科を修了する。双方とも専攻は工芸・建築学。同31年より宮之原謙に師事し、同36年には東陶会に「陶彫」を出品して板谷波山会長賞、同年の第13回三軌会展では「陶壁」で受賞、翌37年第14回三軌展に「陶壁」を出品して努力賞、ブランシェ賞受賞、38年、44年にも東陶会で受賞。45年より八木一夫に師事して走泥社に参加する。同46年第1回日本陶芸展前衛部門に「シリーズ・公害アレルギー」を出品して優秀作品賞・外務大臣賞を受賞、社会派の前衛陶芸家としての地歩を築いた。翌47年第30回イタリア・ファエンツァ国際陶芸展でラベンナ州知事賞受賞、48年より翌年まで文化庁芸術家在外研究員として欧米に学ぶ。帰国後も走泥社への出品を続けたが八木一夫の死を機に同54年退会。同年国際陶芸アカデミー会員に推挙され、以後国内での展観に加えて同55年フランス・ヴァロリス国際陶芸ビエンナーレ及びイタリア・ファエンツァ国際陶芸展、58年国際陶芸アカデミー学会会員展など国際展にも出品する。同48年の「赤ちゃんの帽子」、50年「シリーズ:ワイングラスの悪夢」、51年「傷痕」、52年「シリーズ:猛想族」、54年「表層シリーズ:天中殺-十大恒星・十二命星」、56年「シリーズ:八木一夫の俳句(私的解釈の軌跡から)」、「陶壁・予兆空間」、57年「陶板・シリーズ韻」、60年「黒の風景」、62年「シリーズ蝕:黒の風景」、63年「陶板、予兆空間」、64年「予兆空間」「僕の世紀末」と一貫して社会への提言を秘めた作品を発表。熱や重力によって変形を加えられた形を石膏型に取り、陶土に形をうつして焼成するなど素材や技法の面でも前衛的な試みを行なった。朝日陶芸展審査員をしばしばつとめ、陶芸を伝統工芸の枠から解き放ち、クレイワークという分野を確立する原動力となった作家のひとりである。事故当時準備中であった個展は作家の計画案をもとに6月2日よりギャラリー森で行なわれ、国会議事堂を主題とした遺作「ザ・日本」が展示された。

出 典:『日本美術年鑑』平成2年版(244-245頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「里中英人」『日本美術年鑑』平成2年版(244-245頁)
例)「里中英人 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9853.html(閲覧日 2024-12-04)

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