寺田春弌

没年月日:1979/03/12
分野:, (洋)
読み:テラダ, シュンイチ*、 Terada, Shun’ichi*

 洋画家、東京芸術大学名誉教授、寺田春弌は、3月12日午後3時20分、胃ガンのため熱海市の国立熱海病院で死去した。享年67。寺田春弌は、1911(明治44)年3月26日、横浜市に生まれ、神奈川県立横須賀中学校から同湘南中学に転じて1929年同校を卒業、1931年東京美術学校本科油画科に入学、藤島武二に師事、1936年3月同校を卒業した。1936年4月から名古屋市私立東海中学校に奉職したが、翌37年1月近衛師団高射砲第2聯隊に入営、4月砲兵科幹部候補生、11月傷疾により兵役を免除され、再び東海中学校に復職した。1939年夏、高砂族服飾の調査のため台湾に出張、1940年からは愛知県立岡崎中学校教諭、43年愛知県立明倫中学校教諭となったが、同年8月、生徒主事補、翌年7月からは助教授として東京美術学校に奉職した。一方、1936年第3回光風会展に「緑陰」が入選し、兵役の後1939年第26回展以後、44年まで毎回光風会に出品した。1946年光風会会員に推挙されたが、翌47年に一水会に転じ会員となり、1956年まで毎回出品、57年退会した。1949年東京芸術大学美術学部助教授となり、1953年11月ヨーロッパ留学し、ルーヴル美術館極東科学研究所において油彩画保存及び古画修復技術、材料研究に従事し、また諸国を歴遊した1955年2月に帰国した。1957年、国際具象作家協会創立に参加し運営委員となり第1回展から第5回展まで出品した。以後、作家活動としては、個展において作品を発表した。1961年9月~11月ヨーロッパ・アメリカへ出張し、このとき、I.I.C.(歴史美術資料保存国際学会)会員となる。1969年東京芸術大学美術学部教授となり、同年重要文化財「慶長遣欧施設関係資料」の調査修復に従事し、また、ボッティチェルリ作「シモネッタの肖像」の科学的調査研究にも従った(のちに西欧学芸研究所から報告書刊行)。そのほか、1971年高松塚古墳絵画の恒久保存対策委員、赤坂離宮迎賓館天井壁画の壁画の修復などにあたり、1974年には東京芸術大学附属芸術資料館館長をつとめ78年退官、同年東京芸術大学名誉教授となった。

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出 典:『日本美術年鑑』昭和55年版(271頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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