岩崎友吉

没年月日:1990/12/05
分野:, (学)

東京国立文化財研究所名誉研究員の保存科学者(化学)岩崎友吉は、12月5日、東京都台東区の自宅で心不全により死去した。享年78。建造物や美術工芸品などの修復や保存に関わる研究を専門とした恐らく最初の自然科学者と思われる岩崎友吉は、明治45(1912)年4月10日横浜市に生まれ、東京帝国大学化学科で柴田雄次教授に教えを受ける。昭和14年卒業後、同大学大学院に進み、理学部副手、助手をつとめた後、昭和23年東京国立博物館に発足した保存修理課保存技術研究室に文部技官として勤務。文化財保護の組織改編にともない、文化財保護委員会事務局保存部建造物課研究室をへて、同27年に東京文化財研究所(現東京国立文化財研究所)に保存科学部が出来ると同時に同部化学研究室の研究員となり、化学研究室長、修理技術研究室長を経て、同48年修復技術部発足と同時に修復技術部長となり、翌49年退官。同研究所名誉研究員。この間、昭和24年金堂火災直後の法隆寺国宝保存に関する調査を委嘱され、次いで25年に壁画の化学的保存処置のために調査員を委嘱される。その後、各地で盛んになった歴史的建造物や修復に伴う内部の部材彩色の保存処置を担当、同47年に発掘された高松塚古墳の壁画保存については、ヨーロッパの壁画保存の実態調査に参加、専門家を招へいしての修理方針の決定に関与した。研究所退職後は寺田春弌(当時東京芸術大学美術学部教授、絵画組成研究室)と高松塚壁画再現のための研究をしている。
 同39年から40年にかけてベルギーの王立文化財研究所客員研究員として文化財保存の西欧的手法を研究したのをはじめ、同42年に日本が加盟してからの8年間日本政府代表として、イクロム(ICCROM、文化財保存のための国際研修機関)の運営に関わり、昭和44年からは理事を務めた。
 主な論文、著作は、「文化財の保存における人工木材の応用」保存科学10号、「障壁画の剥落止めについて」保存科学12号、「文化財の保存における二三の根本的問題」保存科学13号、「古文書類の虫害とその防除法について」古文化財の科学5号、「ルーブル博物館実験室の紹介」古文化財の科学10号、「私は国宝修理屋」朝日新聞、昭和37年7月20日、「文化財の保存と修復」日本放送出版協会、昭和52.11.20、「博物館の機能上の一つの課題-身体障害者へのサービス」博物館学雑誌3・4合併号1979年など。その他エッセイでは、「大正っ子のおしゃべり」日本放送出版協会、昭和50.5.8、の中の1篇「炭火」は昭和50年の「年間優秀100エッセイ」の一つに数えられ、後に山本健吉編、日本の名随筆、第20巻、「歳時記、冬」に掲載されている。
 晩年は、幼少時から養われた広い教養から溢れ出たエッセイで高い評価を受け、自然科学者でありながら、文化財保存修復が余りに科学的に偏ることに警鐘を鳴らし、文化財と自然科学との調和を模索したが果たせない事を悔やんでいた。昭和59年、勲四等旭日小綬章を受章。また、同61年にはアジア地域で初めて、多年の功績に対して、イクロム賞を受ける。その他、1972年以来IIC(国際文化財保存学会)のフェロー、古文化財科学研究会評議員(昭和60年~平成元年)、美術家連盟理事(昭和32年~58年)、博物館学会会長(昭和52年~55年)、等を歴任し、1986年スガ財団賞を受賞した。

出 典:『日本美術年鑑』平成3年版(327頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「岩崎友吉」『日本美術年鑑』平成3年版(327頁)
例)「岩崎友吉 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10478.html(閲覧日 2024-03-29)

外部サイトを探す
to page top