伊東深水

没年月日:1972/05/08
分野:, (日)

日本画家伊東深水は、5月8日ぼうこうガンのため東京信濃町の慶応病院で死去した。享年74才。本名伊東一。明治31年2月4日東京深川に生れ、深川小学校を二年で修業、日暮里小学校に転じ、尋常科3年で退学した。明治41年11才の時東京印刷活版部へ職工として入り、同44年には同所意匠部に転じ、この春鏑木清方に師事した。又この頃から実業補習夜学校に入学し、中等科の過程を修了している。当時、父の事業失敗から極度に生活貧窮し、昼の勤務後、夜学に通い、夜中絵を描くという酷しい日課が繰りかえされたという。この頃のことについては雑誌「塔影」(12-8号)にくわしく記されているが、恵まれた天分に加えて大変な努力家であったことが分る。入門の翌年、日常目にるれる労働者の父娘を描いた「のどか」を巽画会に出品し、初入選となり、画壇への出発となった。翌年の巽画会では、「無花果の蔭」で一等褒状となり、翌3年には再興日本美術院第1回展に「桟敷の女」、大正4年には第9回文展に「十六の女」など、あどけない女性を描いて出品している。同5年の再興美術院第3回展に大島で取材の「乳しぼる家」が入選したが、この頃から大正末年にかけては、専ら新聞雑誌の挿絵、口絵版画等の仕事に携わり、展覧会への出品はみられない。当時時刻自摺を主張する創作版画運動に対して、渡辺庄三郎を版元とする所謂新版画つくり出され、橋口五葉、川瀬巴水らと明快で情緒ある魅力的版画の数々をつくり、別の流れを形成した。深水の木版画における足跡は大きく、戦後も特大判の木版画を製作していて、浮世絵版画の系統をひく木版画界にあっても、貴重な存在であった。大正11年平和博覧会出品の「指」、同13年清方塾展出品の「湯気」は、若き夫人をモデルにしたものいわれる。色白で豊かな姿態の新妻を情感あるれる趣に表現したもので、大いに評判となった。後年のいわゆる深水式美人画は、一般的にこの作品によって方向づけられたといわれるが、5年頃の版画作品には、すでに明快な深水風の表現がみられる。昭和になってからは、第8回帝展「羽子の音」で特選、翌年「雪の夜」で無鑑査となり、昭和8年第14回帝展では審査員となった。以来、屡々審査員をつとめ、また毎年大作を発表したが、戦後は日展を中心に活躍している。昭和21年第2回日展「銀河祭り」、翌3回展「鏡」は古典的主題で、現代風俗の多い作域の中で珍しい傾向を示したが、後者は日本芸術院賞(昭和22年度)となった。昭和33年日本芸術院会員となった。彼は、主たる発表の場である官展のほか、昭和5年には朗峯画塾を主催し後進の育成にあたり、毎年展覧会を催した。また同15年には清方の同門である山川秀峰と青衿会をおこし人物画の発展につとめた。しかし戦後は、青衿会と児玉希望の画塾である国風会とが発展的解消を遂げ、両者併せて新らたに日月社が結成され、その顧問となっている。これらのほか、個展も多く催され、街の展観にも応ずるなど、極めて精力的活動振りで、したがって作品の数もすこぶる多い。深水は、一般に美人画家と目されるが、前にも述べた通り、はじめは社会の下層階級に注目した労働者、乞食、新聞配達などを対象として秀れた作品をのこし、また木版画での足跡も大きく、肖像画や、各時代を反映した風俗画にも意欲を示している。また歴史的、古典的作柄もあって、その幅は至って広汎であるといえよう。制作の中心をなしたいわゆる深水風美人画は、豊かな色感と確かな線描によって明快な画面が示される。一般に分りやすく通俗視される傾向はいなめないが、近代的美人画様式を創出し、つねにそこに安んじなかった姿勢こそ、もっと評価されてしかるべきであろう。
伊東深水作品年譜
明治45年 巽画会第12回展「のどか」初入選
大正2年 同第13回展「無花果の蔭」1等褒状
大正3年 再興日本美術院第1回展「桟敷の女」入選
大正4年 巽画会第15回展「黒いマントの女」1等褒状
大正4年 文展第9回「十六の女」入選
大正5年 院展第3回「乳しぼる家」之より六年間は挿絵に専念、研究に没頭す
大正11年 平和博覧会展「指」出品2等賞銀牌
大正13年 帝展第5回「おしろい」二曲一双。 清方塾展「湯気」
大正14年 清方第6回「昼さがり」二幅対
大正15年 清方第7回「女五人」六曲屏風半双。日本画会展「梅雨の頃」
昭和2年 帝展第8回「羽子の音」特選
昭和3年 帝展第9回「雪の夜」無鑑査
昭和4年 帝展第10回「秋晴れ」特選首席、「推薦」となり爾来無鑑査
昭和5年 朗峯画塾展第1回「爪」
昭和5年 帝展第11回「浄晨」無鑑査
昭和6年 朗峯画塾第2回展「朧」
昭和6年 帝展第12回「露」出品
昭和7年 日本画会展「雪の宵」二曲半双 朗峯画塾第3回展「小雨」 青々会第1回展「獅子」「暮方」 帝展第13回「寂照」審査員
昭和8年 青々会第2回展「梅雨」「芸者」「雪」 帝展第14回審査員となる。「海女躍る」出品
昭和9年 青々会第3回展「麗日」 朗峯画塾第4回展「細雨」「通り雨」 帝展第15回「鏡獅子」
昭和10年 青々会第4回展「日照雨」二曲半双 朗峯画塾第5回展「秋光」反照 6月第1回個展を開く
昭和11年 朗峯画塾第6回展「きさらぎ」
昭和12年 5月第2回個展を開く
昭和13年 新文展第2回「牛と子供」
昭和14年 同第3回「清秋」
昭和15年 紀元二千六百年記念奉祝展「朝」
昭和15年 青衿会第1回展「玄武湖畔残照」四幅対
昭和16年 新文展第4回「現代婦女図」審査員 青衿会第1回展「若水」
昭和17年 新文展第5回「海風」審査員 青衿第3回展「現代婦女図」二曲一双
昭和18年 南方戦域を視察、9月スケッチ展を開く 青衿会第4回展「白梅」 新文展第6回「南方収獲図」審査員
昭和19年 文部省戦時特別美術展「薙刀」 青衿会第5回展「南方収獲」
昭和21年 青衿会美人画展「鏡獅子」「春の雪」 朝日新聞現代美術展「夜長」 日展第2回「銀河祭り」
昭和22年 朝日現代美術展「矢車草」 日展第3回「鏡」芸術院賞となる。 霜月会第1回展「吹雪」 青衿会第7回展「惜春」「黒髪」
昭和23年 信濃風景画個人展を三越にて開く 再興美術協会第1回展「矢車草」 日展第4回「朝顔と少女」審査員 霜月会第2回展「隅田川」
昭和24年 青衿会第9回展「髪」 美協展第2回「通り雨」 日展第5回「舞」審査員、六曲一双 霜月会第3回展「かるた」
昭和25年 五月日展運営会参事となる 児玉希望塾と合併日月社を結成顧問となる 第1回展「姉弟」二曲半双出品 美協展第3回「初夏の花」 日展第6回「聞香」 霜月会第4回展「伽羅」
昭和26年 日月社展第2回「清方先生」 美協展第4回「セーラー服の少女」 国際美術振興会サンパウロ展「黒髪」 日展第7回「蓮の花」審査員 霜月会第5回展「狐火」
昭和27年 日月社展第3回「南の国」 日展第8回「夢多き頃」 霜月会第6回展「帯」 深水個展(兼素洞)「舞」「春」「雪」「黄衣」「鏡」「無題」
昭和28年 日月社展第四回「N氏夫人像」 美協展第6回「無題」 日展第9回「寿陽公主」審査員 新作額装展(兼素洞)「絳衣」
昭和29年 日月社第5回展「若葉の頃」 美協展第7回「卯の花」 毎日新聞現代日本美術展「リラの花」 風俗画展「春宵」外3点、日展「藕花」
昭和30年 日月社第6回展「イヤリング」「戸外は春雨」 日展第10回「宋磁」
昭和31年 日月社第7回展「赤と白A・B」「黒いドレス」 日展第11回「古典の人々」
昭和32年 伊藤深水名品展(白木屋東京新聞社主催) 伊藤深水スケッチ展(銀座、松屋朝日新聞社主催) 日月社小品展「ロングヘヤー」 清方、深水名作美人画展(大阪、近鉄百貨店大阪読売新聞社主催) 第4回日本国際美術展「清水」 日月社第8回展「萩江寿友寿像」 小唄絵小品展「銀座、松屋」 デッサン展(大阪、阪急百貨店) 第3回新作展(兼素洞)「踊子」「聞香」「婦人像(赤い手袋)」「玉紫陽花」「静物」「唐俑」「爽秋」 第13回日展「ペルシャ猫」審査員
昭和33年 伊東深水展(鎌倉近代美術館)作品37点、スケッチ24点出品 5月 日本芸術院会員となる 日月社第9回展「黒髪」「花吹雪」「静坐」
昭和34年 2月 欧米旅行スケッチ展、欧米旅行作品展(日本橋、三越)開催 3月 伊東深水堅山南風二人展(上野、松坂屋)「湯気」「銀屏風」「異国の鉢と卓布」 第5回日本国際美術展「初夏」 日月社第10回展「古の壷」 「小唄に因む新作画展」(銀座、松屋)「春風そよそよ」「竹の葉に」「夜ざくら」など21点発表 11月 第2回新日展「愚痴」
昭和35年 日月社第11回展「酔燕台翁」 第3回新日展「祇王寺の秋」審査員
昭和36年 4月 「ペルシャ陶器を描く個展」(兼素洞) 5月 第6回日本国際美術展「暮雪」 7月 日月社第12回展「姿見」(日月社はこの展覧会を最後に解散した。) 11月 第4回新日展に「葵の上(地唄舞)」
昭和37年 第13回秀作美術展「祇王寺の秋」 4月 「画道50年記念伊東深水展」(日本橋、三越 朝日新聞社主催)開催される。自選代表作80余点出品。
昭和38年 2月 「伊東深水展」(大阪、大丸)開催。 5月 第7回日本国際美術展「ペルシャの壷と椿 6月 「伊東深水自選展」(福岡市、岩田屋百貨店 朝日新聞社主催)開催。 10月 「伊東深水、万燿父子展」(横浜、高島屋)開催。 11月 第6回新日展「ハワイ諸島の娘等」
昭和39年 1月 「旅行記念展」(日本橋、三越)開催。 5月 第6回現代日本美術展「女性像」 11月 第7回新日展「バリ島の舞姫」
昭和40年 3月 「インドネシア旅行展」(日本橋、三越)開催。「バリ島風景」「魚市場」「ジャカルタ市長の家」「バンドン郊外」などスケッチとその制作8点を発表。 6月 「深水画塾50周年人物画展」(日本橋、三越)「スカルノ・デウィ夫人」出品。 11月 第8回新日展「娘道成寺を踊る吾妻徳穂」
昭和41年 5月 「異国の陶器による作品展」(兼素洞)開催。「ペルシャの壷に椿」「ペルシャ陶器と宋胡録」「高麗瓶に牡丹」「李朝の花器に梅」「桜と碧青釉浮彫唐葉文把手付水差」「唐三彩の香炉と芍薬」「ペルシャ碧青釉文花瓶と海棠」発表。 6月 伊東深水画塾人物画展(日本橋、三越)「吉野太夫」 11月 第9回新日展「菊を活ける勅使河原霞」審査員
昭和42年 1月 美人画と風景版画にみる伊東深水展(新宿、伊勢丹 毎日新聞社主催)開催。美人画15点、風景画3点、版画22点出品。「美人画小品展」(兼素洞)「舞妓」「御点前」「鏡の前」「鳥米」「追羽子」「置炬燵」「春宵」「春雪」
昭和44年 3月 「美人画と写生による伊東深水小品展」(日本橋、高島屋)愛蔵の古陶磁写生20数点出品。 「伊東深水小品展」(横浜、野澤屋)開催。
昭和45年 3月 「新作展」(日本橋、三越)を開催し、「浴後」「夜会巻」「舞妓」「伊勢桑名の暮雪」のほか「潮」「ぼけ」「干柿」「紅梅」「椿」など短冊10数点を出品。 (昭和47年伊東深水展目録参照)

出 典:『日本美術年鑑』昭和48年版(69-71頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「伊東深水」『日本美術年鑑』昭和48年版(69-71頁)
例)「伊東深水 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9336.html(閲覧日 2024-11-01)

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