九里四郎

没年月日:1953/03/01
分野:, (洋)

洋画家九里四郎は3月1日長野県飯田市飯田病院で胸部疾患のため死去した。享年67歳。明治19年東京に生れ、学習院から明治43年東京美術学校西洋画科を卒業した。池部鈞藤田嗣治近藤浩一路等と同級で明治44年欧州に留学した。在学中すでに明治40年の第1回文展に「霧の榛名野」が初入選となり、同41年の第2回文展には「蔵」が入選、3等賞となり、43年第4回文展の「老人」も3等賞となつた。然し帰朝後は官展風の自然描写を棄て、強い主観的表現をとる様になり、文展内に於ける二科制設置運動に加わつたが当局に容れられず、官展を離れた。大正3年二科会創立に際してその鑑賞委員に選ばれたが辞退し、第4回展に「庭」「静物」他4点を出品した。その後も二科会に出品していたが、のち料理屋を経営したり、風物を描きながら生涯を送つた。

出 典:『日本美術年鑑』昭和29年版(155頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「九里四郎」『日本美術年鑑』昭和29年版(155頁)
例)「九里四郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8892.html(閲覧日 2024-04-20)

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