太田正雄

没年月日:1945/10/15
分野:, (学)

木下杢太郎のペンネームを以て知られた東京帝国大学医学部教授太田正雄は10月15日胃癌のため東大病院に於て没した。享年61。明治18年静岡県に生れ、同31年上京独乙協会中学校に入学し、傍ら三宅克己に学んだ。第一高等学校を終え、独逸文学科を志望したが、家人の許すところとならず、東京帝国大学医学部に入学した。此頃より黒田清輝に師事し、又与謝野寛の新詩社に入り、或は北原白秋等とパンの会を興し、詩、戯曲等を創作し、又南蛮趣味に感興をひかれるに至つた。明治44年業を終え、東大医学部に勤務しつつ多くの創作、翻訳を遂げた。大正5年満洲に赴任して以来、中国芸術に興味を覚え、雲崗、大同、太原、洛陽等の古蹟を巡歴した。大正10年専門の皮膚科学研究のため渡欧、同13年迄主として巴里に留まつて欧洲芸術を研究し、又吉利支丹関係の文献、遺品を渉猟し、独逸、伊太利、埃及等を巡遊した。大正13年公立愛知医科大学教授次で15年東北帝国大学教授を歴任し、昭和12年東京帝国大学教授となり、逝去に至る迄その職に在つた。その文芸、美術の方面に遺した業績は極めて多方面にわたるが、翻訳による印象派以後の西洋美術の紹介、或は日本初期洋風画への文献的貢献は著しい。この特異の芸術愛好家を失つたことは惜しまれる。
略年譜
明治18年 8月1日静岡県にて太田惣五郎三男として生る
明治31年 上京し独逸協会中学校に入る、三宅克己に絵画を学ぶ。
明治36年 第一高等学校第三部に入学
明治39年 東京帝国大学医科入学、与謝野寛新詩社に入り新体詩を創りはじむ、独逸文芸及美術関係書を読む、森鴎外の知遇を受け、又黒田清輝に絵を学ぶ
明治41年 新詩社脱退、北原白秋、長田秀雄、吉井勇、石井柏亭等とパンの会を起す、「スバル」「方寸」等に寄稿す、「きしのあかしや」のペンネームにて作詩
明治42年 「屋上庭園」創刊、白秋と共に頽唐派詩人の双璧をなす、北原、長田、吉井、平野の同志と長崎、島原方面へ旅行、南蛮趣味へ傾倒す、この頃より木下杢太郎のペンネームを用い始む
明治44年 東京帝大医科を卒業、同大学衛生学教室研究生となる。
明治45年 同大学皮膚科副手を嘱託さる、第一戯曲集「和泉屋染物店」東雲堂より出版
大正3年 「南蛮寺門前」(戯曲集)春陽堂より出版
大正4年 「唐草草紙」(小説集)正雄堂より出版、「穀倉」(現代名作集16)鈴木三重吉方より出版
大正5年 南満洲鉄道会社南満医学堂教授として赴任、「印象派以後」(芸術論集)日本美術院より出版
大正6年 建築家河合浩蔵娘正子と結婚
大正8年 「食後の唄」(詩集)アララギ発行所より出版、リヒアルト・ムウテル「十九世紀仏国絵画史」(翻訳)を日本美術院より出版
大正9年 7月木村荘八と朝鮮、北京の古蹟を廻り、9月雲崗、大同石仏寺に17日間参籠、南満医学堂教授を辞し、10月以後太原、洛陽、漢口、南京に遊ぶ
大正10年 皮膚科学研究のためアメリカを経由欧州に赴く、専ら巴里に在つて研究、其間独乙、伊太利、エジプト西欧に遊ぶ、「地下一尺集」(芸術評論集)叢文閣より出版、「支那伝説集」精華書院より出版、「空地裏の殺人」(現代劇叢書4)叢文閣より出版
大正11年 「癜風菌の研究」により医学博士となる、「大同石仏寺」木村荘八共著として日本美術院より出版
大正13年 9月帰朝、公立愛知医科大学教授となる
大正15年 東北帝国大学医学部教授に任ぜらる。「厥後集」(小説集)東光堂より出版、「支那南北記」改造社より出版
昭和4年 「えすぱにや・ぽるつがる記」岩波書店より出版
昭和5年 「木下杢太郎詩集」第一書房より出版、12月シヤム、バンコツクに開かれた極東熱帯病学会に出席す
昭和6年 フイリツピン経由3月帰朝、東北帝大附属病院長、東北帝大評議員となる、「ルイス・フロイス一五九一・一五九二年日本書翰」第一書房より出版
昭和9年 「雪櫚集」書物展望社より出版
昭和11年 「芸林間歩」岩波書店より出版
昭和12年 東京帝国大学医学部教授に任ぜらる
昭和13年 「大同石仏寺」座右宝刊行会より出版
昭和14年 「其国其俗記」岩波書店より出版、6月北支衛生状況視察を命ぜられ、大同に再遊す
昭和16年 第1回交換教授として仏印に出張、安南の文化について多く学ぶ、仏国よりレジヨン・ドヌール オフイシエ勲章を受く
昭和17年 「木下杢太郎選集」中央公論社より出版
昭和18年 南京の医学会に赴く
昭和19年 此年夏以後癌に犯されるを気付かず、空襲中の東京に在つて勤務を続く
昭和20年 6月病床に臥す、「葱南雑稿」を書き始む、10月15日朝東大病院柿沼内科に於て逝去

出 典:『日本美術年鑑』昭和19・20・21年版(102-103頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「太田正雄」『日本美術年鑑』昭和19・20・21年版(102-103頁)
例)「太田正雄 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8731.html(閲覧日 2024-04-24)

外部サイトを探す
to page top