渡辺一
美術研究所嘱託渡辺一は昭和15年2月応召、中支を経てビルマに転戦、インパール戦線に於て3月23日戦死した。享年41。明治37年新潟県長岡市に生れ、県立長岡中学から第一高等学校を経て、東京帝国大学美術史科を卒業、同時に京城帝国大学法文学部に赴任し、田中豊蔵、上野直昭教授の助手となつたが、同5年辞職し、次いで同6年帝国美術院附属美術研究所の嘱託となつた。その後草創当時の美術研究所のために正確綿密な頭脳と真摯な実行力を駆つて資料の蒐集、索引等の作成及び整備につとめ、又創刊当初の機関誌「美術研究」の編輯に力を注ぎ、昭和10年には九州帝大法文学部の依嘱をうけて「日本上代絵画史」の講義に赴いた。弱冠にして既に稀に見る博識をうたわれたが、特に研究題目は中国絵画史の禅宗系統のもの、引いて我が東山水墨画画ような枯淡な方面を選び、応召2、3年前頃から美術研究所の事業の一つである「東洋美術総目録」の作成に専心、先ずその一端として東山水墨画派の研究を個々の作家に就いて進めつつあつた。その成果は「美術研究」に発表されている。黙庵、如拙、周文、正信等がその主要なものである。用意周到で、明哲な学風は大いに注目すべきものがありその完成は特に学会の期待するところであつたが、その途上で斃れたことは返すがえすも遺憾なことであつた。遺族には養母、夫人二男一女が茨城県下にある。
出 典:『日本美術年鑑』昭和19・20・21年版(90-91頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「渡辺一」『日本美術年鑑』昭和19・20・21年版(90-91頁)
例)「渡辺一 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8720.html(閲覧日 2025-01-26)
例)「渡辺一」『日本美術年鑑』昭和19・20・21年版(90-91頁)
例)「渡辺一 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8720.html(閲覧日 2025-01-26)
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