岩田信市

没年月日:2017/08/06
分野:, (美)
読み:いわたしんいち

 1960年代に前衛芸術集団「ゼロ次元」を結成し、街頭裸体パフォーマンスで話題となった画家、演出家で元劇団「スーパー一座」主宰の岩田信市は8月6日に大腸がんのため死去した。享年81。
 1935(昭和10)年8月8日、名古屋市中区大須に生まれる。43年白川国民学校入学。疎開により愛知県海部郡勝幡(現、愛西市勝幡)に疎開。45年、終戦で大須に戻り、大須小学校に転入。52年旭丘高校に入学。同年、中部日本美術展奨励賞受賞。学外の左翼サークルに入り活動、戦後三大騒乱事件の一つといわれる大須事件に参加。55年同校美術課程卒業(出席日数不足のため「仮卒業」との記録もある)。60年頃、グループ「0次現」を結成。62年、第14回読売アンデパンダン展に出品、翌年も出品。63年、加藤好弘らと<人間の行為をゼロに導く>というコンセプトで「ゼロ次元」を結成、同年1月の公開儀式「はいつくばり行進」を皮切りに数々のパフォーマンスを行う。64年、関東から福岡までの広範な地域から反芸術パフォーマンスを行ってきた作家たちが結集した日本超芸術見本市(愛知県文化会館美術館、平和公園他)で、のちの「全裸儀式」の原型となるパフォーマンスを実施。65年、アンデパンダン・アート・フェスティバル(現代美術の祭典、通称岐阜アンパン)にてゼロ次元として河川敷に見世物小屋風テントを設営し儀式「尻蔵界(けつぞうかい)曼荼羅祭り」を行う。日本万国博覧会(大阪万博)が行われる前年69年には、秋山祐徳太子、告陰、ビタミン・アート、クロハタなどとともに反万博団体「万博破壊共闘派」を立ち上げ、京都大学講堂屋上にて全裸のパフォーマンスを行うなど社会を賑わす。70年に愛知県文化会館美術館で起こった「ゴミ作品撤去事件」を発端とする芸術裁判の支援活動を行い、「ゴミ姦団」を結成。この頃より活動の中心をゼロ次元から、ゴミ姦団、頭脳戦線等のグループに移行。73年、全国のヒッピー代表として名古屋市長選に立候補。79年、劇団スーパー一座を旗揚げ、主宰として演出を担当、2008(平成20)年の劇団解散まで数回のヨーロッパ講演、ロック歌舞伎、大須オペラ等を演出を手掛け、古典や伝統の再解釈と超克を試みた。引退後も画家として作品制作を継続した。
 新作を含む回顧展としては「岩田信市的世界」(犬山・岩田洗心館、1995年、企画=三頭谷鷹史)、パブリック・コレクションに「ランニングマン」(1965年頃、名古屋市美術館蔵)、「ウォーキングマン」(1969年、愛知県美術館蔵)、「ファイティング・ビューティ(キック)」(1981年、名古屋市美術館蔵)、著述集に『現代美術終焉の予兆』(スーパー企画、1995年)がある。また60年代の反芸術パフォーマンスを体系的にまとめた研究書、黒ダライ児『肉体のアナーキズム』(グラムブックス、2010年)では、「ゼロ次元」として一章が設けられその活動が検証され、15年8月に日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴとAsia Culture Center(韓国・光州)との共同事業として岩田の聞き取り調査を行った(聞き手は細谷修平、黒ダ、黒川典是)。歿後、芸術批評誌『REAR』第41号(2018年)において岩田の特集が組まれ、友人、同志、研究者、遺族といった様々な立場から追悼文が寄せられた。
 60年代に肥大していったマスメディアと都市という社会制度をフィールドとして、既存の美術システムを大きく越えた過激な表現活動は、カウンターカルチャーの政治的・社会的意義を読み解く視点からも近年その活動が再評価されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成30年版(450-451頁)
登録日:2020年12月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「岩田信市」『日本美術年鑑』平成30年版(450-451頁)
例)「岩田信市 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/824306.html(閲覧日 2024-03-29)

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