高木聖鶴

没年月日:2017/02/24
分野:, (書)
読み:たかきせいかく

 仮名の書家で文化功労者、文化勲章受章者であった高木聖鶴は2月24日、肺炎のため死去した。享年93。
 1923(大正12)年7月12日、岡山県総社市に生まれる。本名郁太(いくた)。旧制高梁中学を卒業ののち会社に勤めながら、1947(昭和22)年、書家内田鶴雲に師事した。50年に第6回日展で初入選し、73年改組第5回日展では特選を受賞。日展においては、日展審査員、会員、評議員、理事などを歴任した。
 67年には聖雲書道会を主宰し、78年には内田鶴雲のあとを継ぎ朝陽書道会会長になり、後進の育成にも努める。自身の発表の場としては、70年に岡山市天満屋にて「高木聖鶴書道展」を開催したのをはじめ、83年岡山市森川美術、93年・98年岡山高島屋、2001(平成13)年総社市図書館など、地元岡山を中心に展覧会を開催。出身地である岡山県総社市で活動を続け、85年山陽新聞賞(文化功労)、93年岡山県文化賞ほか受け、04年には総社市名誉市民となった。
 91年から11年まで朝日現代書道二十人展のメンバーになり、読売書法会最高顧問、日本書芸院最高顧問、全国書美術振興会名誉顧問、全日本書道連盟名誉顧問、岡山県書道連盟名誉顧問、朝陽書道会会長をつとめる。日本書道をユネスコ無形文化遺産への登録を目指す運動にも尽力した。
 学書のために平安時代の書を中心に収集もしており、その秀逸なコレクションを東京国立博物館、九州国立博物館他に寄贈している。日々の鍛錬の大切さを訴えつづけ、「古今和歌集」をはじめとする古典研究につとめ、仮名のみならず、日本・中国の漢字書も学んだ。上代の仮名に倣った小さな仮名の作品も数多く揮毫したが、近代的な展覧会での展示に適した大字の仮名の作品も残している。
 平安朝の仮名を習得した上で現代の感覚を加味して表現した仮名に漢字を融合させ、独自の書風を打ち出した。その書は気品があると高い評価を受け続け、仮名書の第一人者として業界を牽引した。
 そのほか受賞歴は次のとおりである。
91年、第23回日展で「古今和歌集抄」が内閣総理大臣賞を受賞
94年、紺綬褒章
95年、第26回日展(94年)に出品した「春」により、第51回日本芸術院賞を受賞
98年、勲四等旭日小綬章
06年、文化功労者
13年、文化勲章受章
17年、従三位追贈

出 典:『日本美術年鑑』平成30年版(434頁)
登録日:2020年12月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「高木聖鶴」『日本美術年鑑』平成30年版(434頁)
例)「高木聖鶴 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/824186.html(閲覧日 2024-04-19)

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