後藤純男

没年月日:2016/10/18
分野:, (日)
読み:ごとうすみお

 日本画家の後藤純男は10月18日、敗血症のため死去した。享年86。
 1930(昭和5)年1月21日、千葉県東葛飾郡関宿町木間ヶ瀬(現、野田市木間ヶ瀬)の無量寿院に、真言宗住職であった父幸男、母喜代の間に8人兄弟の次男として生まれる。32年12月埼玉県北葛飾郡金杉村(現、松伏町)へ転居。36年金杉尋常高等小学校(現、松伏町立金杉小学校)へ入学、小学校時代より絵を描くことを好み、休み時間には校庭で白墨や〓石で絵を描いていたという。42年真言宗豊山派の豊山中学校(現、日本大学豊山中学校)へ入学。同校在学中に真言宗僧としての修業を開始する傍ら、画家になることを考え始める。45年埼玉県立粕壁中学校(現、埼玉県立春日部高等学校)へ転入。美術部に入り、美術教師の松田、長坂、また近所に住んでいた日本画家、伊藤青郊に絵の手ほどきを受ける。46年3月同校卒業後、東京美術学校を受験するも失敗。青郊の師、川崎小虎の紹介で山本丘人に師事し、本格的に絵の勉強をはじめる。47年再び東京美術学校を受験するも失敗、学制変更により受験資格を失い進学を断念する。4月には埼玉県川辺小学校の教員となり、翌年より3年間埼玉県葛飾中学校教師を務めた。その傍ら、49年師である丘人の紹介で日本美術院同人の田中青坪に師事。翌50年4月第5回日本美術院小品展に「田園風景」で初入選を果たす。しかし秋の院展では落選がつづき、52年9月第37回院展に「風景」で初入選を果たした。この間、埼玉県北葛飾郡宝珠花村立宝珠花中学校、千葉県川間村立川間中学校(現、野田市立川間中学校)などで教鞭を執ったが、院展入選を機に画家として身を立てる決意をし、教師生活を終える。54年3月第9回小品展出品の「残る雪」で奨励賞受賞(10、18、21、24~27回でも受賞)。9月の第39回院展へは「灯ともし頃」を出品し院友に推挙される。この頃の作品は田園や村落など、身近な風景が題材とされた。55年頃からは関西や四国の真言宗寺院などへ繰り返し写生旅行に出かけ、入念なスケッチを積み重ねる。また60年頃からは北海道各地へ写生旅行に出かけ、約10年にわたり同地へ通い続けた。60年11月田中恂子と結婚。62年9月第47回院展出品の「懸崖」で奨励賞受賞(51~53、55、57、58回でも受賞)。63年4月第18回春季展へ「宵」を出品、この頃より北海道の層雲峡を中心とした渓谷や滝の連作が開始される。色数を抑え、ゴツゴツとした岩や鋭く刺々しい樹木など、やや抽象化されたモチーフで画面が構成され、神秘性や峻厳さの感じられる作風を示した。65年9月第50回院展へ「寂韻」を出品、日本美術院賞受賞(54回でも受賞)。特待に推挙される。69年4月第24回春季展へ「閑影」を出品。以後奈良や京都の古寺を題材に、大気や光の変化によって見せる表情を捉えた作品を発表する。70年9月第4回現代美術選抜展に「淙想」(第54回院展、1969年)が選抜される(以後も7、11、21回に選抜)。74年2月日本美術院同人推挙。76年9月第61回院展へ出品した「仲秋」で文部大臣賞を受賞。10月にはギャラリーヤエスにて初の個展を開催。79年7月中国へ巡回した「現代日本絵画展」の代表団のひとりとして初めて訪中、以後毎年のように中国へ出かける。80年2月日本美術院評議員に推挙。3月第2回日本秀作美術展に「晩鐘室生」(第64回院展、1979年)が選抜される(以後4~15、18、20、22回にも選抜)。82年9月第67回院展へ北京の天壇祈年殿を描いた「雷鳴」を出品、以後中国の広大な自然や田園、民家などをモチーフにした作品を発表する。同年中国・西安美術学院名誉教授となる。86年9月第71回院展へ出品した「江南水路の朝」で内閣総理大臣賞受賞。87年12月福岡教育大学(美術学科)の非常勤講師となる(12月~1988年3月、同年10月~89年3月まで)。88年4月高野山真言宗東京別院の落慶を記念し、襖絵24面を制作、奉納する。また1993(平成5)年には奈良・長谷寺、99年には東京・高幡不動尊金剛寺の襖絵も揮毫した。88年10月東京藝術大学美術学部の教授となり、97年3月退官、2016年名誉教授となる。91年6月日本美術院監事。92年3月第47回春の院展へ「斑鳩立秋」を出品、この頃より再び日本の風景を題材とした作品が多くなる。とりわけ2000年代以降は大和の古寺が見せる四季折々の表情を多く描いた。95年5月フランス・パリにて個展(三越エトワール)開催。97年9月北海道空知郡上富良野町に後藤純男美術館を開館。00年4月日本美術院理事となる。また同年3月には埼玉県北葛飾郡松伏町より名誉町民の称号が、11月には北海道空知郡上富良野町より社会貢献賞が贈られる。01年1月中国・西安美術学院に後藤純男工作室落成。06年旭日小綬章綬章。16年6月「大和の雪」(第97回院展、12年)で第72回日本芸術院賞・恩賜賞を受賞。また同年には北海道空知郡上富良野町特別名誉町民、千葉県流山市名誉市民となった。

出 典:『日本美術年鑑』平成29年版(557-558頁)
登録日:2019年10月17日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「後藤純男」『日本美術年鑑』平成29年版(557-558頁)
例)「後藤純男 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/818846.html(閲覧日 2024-04-20)

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