灘本唯人

没年月日:2016/07/19
分野:, (その他)
読み:なだもとただひと

 物憂げで都会的な女性像から情感溢れる時代小説の挿絵まで幅広く手がけたイラストレーターの灘本唯人は7月19日、心不全のため死去した。享年90。
 1926(大正15)年2月12日、神戸市に生まれる。本名整(ただし)。少年時代は実家の銭湯で下足番の手伝いをしながら、客の着物や履物を観察して色彩感覚を身に着けたという。1944(昭和19)年、高知市浦戸の予科練に入隊、翌年鹿児島県鹿屋の特攻隊出撃基地で終戦を迎える。終戦後しばらくは様々な職業を転々とし、ヤミ屋等も経験する。一時は歌手を目指すが、52年大野図案事務所に勤務。56年に山陽電鉄宣伝部に嘱託として入社し、同電鉄の宣伝ポスターを手がけて頭角を表す。57年頃には同郷の横尾忠則らとデザイングループ「NON」を結成。60年、新人デザイナーの登竜門であった日本宣伝美術会(日宣美)展覧会に60年入賞、翌年会員に推挙される。61年に関西グラフィックデザイン界の雄であった早川良雄のデザイン事務所に入所。翌年、早川事務所の東京進出に伴い上京し、東京事務所の番頭役として中心的役割を担う。64年横尾忠則、和田誠らと東京イラストレーターズ・クラブを結成。66年、大胆なデフォルメと奔放な線で女性の肉体美とエロティシズムを表現した私家本『Women』を刊行。67年よりフリーとなり本格的に活動を開始、書籍・雑誌の表紙や挿絵、広告ポスター等で活躍する。とくに田辺聖子や佐藤愛子といった女流作家との仕事が多く、その挿絵や装丁に登場する、デフォルメを効かせながら軽妙で洗練された都会的な女性像は評判を呼んだ。また時代小説の挿絵も多く手がけ、江戸の諧謔味を感じさせる作風は人々を魅了した。69年、永六輔や小沢昭一らの発案で雑誌『話の特集』が始めた句会に参加し、句会を通して多くの作家や芸能人と知遇を得るようになる。『週刊朝日』に連載された森繁久弥「にんげん望艶鏡」ほかで79年に講談社出版文化賞さしえ賞を受賞。81年ニューヨーク・ジャパン・グラフィックデザイン大賞受賞。83年、作品集『人間模様』を講談社より刊行。同年フジサンケイグループ雑誌広告賞。88年東京イラストレーターズ・ソサエティー(TIS)を結成、翌年初代会長に就任し、2009(平成21)年に退任するまで長らく務めて業界の発展に尽す。93年イラストレーターとしては初めて紫綬褒章を受章。08年桑沢特別賞受賞。没後の16年9月に玄光社より雑誌『イラストレーション』別冊として作品集『灘本唯人 にんげんもよう』が刊行された。

出 典:『日本美術年鑑』平成29年版(547-548頁)
登録日:2019年10月17日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「灘本唯人」『日本美術年鑑』平成29年版(547-548頁)
例)「灘本唯人 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/818771.html(閲覧日 2024-03-29)

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