徳田八十吉

没年月日:2009/08/26
分野:, (工)
読み:とくだやそきち

 彩釉磁器の重要無形文化財保持者(人間国宝)の徳田八十吉は8月26日午前11時04分、突発性間質性肺炎のため石川県金沢市下石引町の金沢医療センターで死去した。享年75。1933(昭和8)年9月14日、石川県能美郡小松町字大文字町(現、小松市大文字町)に二代徳田八十吉の長男として生まれる。本名正彦。生家は、祖父の初代徳田八十吉(1873―1956)、父の二代徳田八十吉(1907―97)と続く九谷焼の家系で、初代八十吉は1953年に「上絵付(九谷)」の分野で国の「助成の措置を講ずべき無形文化財」に選定されている。古九谷再現のための釉薬の研究と調合に取り組んだ祖父と陶造形作家として日展を中心に作品を発表し富本憲吉にも学んだ父のもとで育った徳田は、52年4月に金沢美術工芸短期大学(現、金沢美術工芸大学)陶磁科へ入学、54年3月に同大学を中退し、父・二代八十吉の陶房で絵付技術を学び、55年の秋、病に倒れた祖父・初代八十吉から上絵釉薬の調合を任されて翌年2月祖父が亡くなるまでの数ヶ月間に釉薬の調合を直接教わった。本格的に陶芸の道に進む意志を固めたのは57年のこと。すでに1954年から日展に出品していたが、9度の落選を経験した後、63年第6回日展に「器「あけぼの」」を出品して初入選(以後6回入選)。初入選作品は鉢型の器の外面を口縁に沿って上から下に青、黄、緑、紺と色釉を塗り分けたもので、色釉のグラデーションを初めて試みたという点で重要である。しかし、後に代名詞となる「燿彩(ようさい)」に見られる自己の様式、すなわち特有の透明感のある色調と段階的な色彩の変化を確立するまでには、ここから80年代前半にいたる上絵釉薬の調製法と絵付・焼成法に関する研究、技の錬磨を必要とした。焼成法に関する大きな変化は電気窯の使用である。当初は父の薪窯(色絵付)で焼成をしていたが、薪窯の温度を上げることに限界を感じ、69年に独立して小松市桜木町に工房兼自宅を構えた際、電気窯による高温焼成を始めた。素地は1280度で固く焼き締めた薄い磁器を用い、色釉の美しさを効果的に見せるため、研磨の工程では器表面の微細な孔なども歯科医の用具にヒントを得た独自の手法で全て整えて平滑な素地を実現した。上絵付の焼成は1040度に達する上絵としては極めて高い温度で行い、ガラス釉の特質を活かした高い透明感と深みのある色調を表出した。色釉は古九谷の紫、紺、緑、黄、赤の五彩のうち、赤はガラス釉でないため使わず、残りの四彩を基本とし、少しずつ割合を変えて調合することで200を超える中間色の発色が可能になったという。こうした技術の昇華を経て生まれたのが「燿彩」という様式である。それは花鳥をはじめとする描写的な上絵付による色絵の世界を超えて、九谷焼が継承してきた伝統の色そのものの可能性を広げたいという探求心が結実した色釉のグラデーションによる抽象表現の極みであり、83年から「光り輝く彩」の意を込めたこの作品名を使うことが多くなった(2003年の古希記念展の後は「耀彩」と表記)。71年の第18回日本伝統工芸展に初出品して「彩釉鉢」でNHK会長賞を受賞、翌年に日本工芸会正会員となる(以後38回入選)。77年の第24回日本伝統工芸展に「燿彩鉢」を出品して日本工芸会総裁賞、81年の第4回伝統九谷焼工芸展に「彩釉鉢」を出品して優秀賞、1983年の第6回伝統九谷焼工芸展に「深厚釉組皿」を出品して九谷連合会理事長賞、84年の第7回伝統九谷焼工芸展に「深厚釉線文壺」を出品して大賞、85年に北国文化賞、86年に日本陶磁協会賞、同年の第33回日本伝統工芸展に「燿彩鉢「黎明」」を監査員出品して保持者選賞、88年に第3回藤原啓記念賞、1990(平成2)年に小松市文化賞、同年の’90国際陶芸展に「燿彩鉢「心円」」を出品して最優秀賞、1991年の第11回日本陶芸展に「燿彩鉢「創生」」を推薦出品して最優秀賞(秩父宮杯)、93年に紫綬褒章、97年にMOA岡田茂吉大賞などを受賞。86年に石川県九谷焼無形文化財資格保持者、97年に国の重要無形文化財「彩釉磁器」保持者に認定された。94年6月に日本工芸会理事(~2004年6月)、98年4月に日本工芸会石川支部幹事長(~2006年4月)、2004年6月に日本工芸会常任理事(~2008年6月)に就任。97年には小松市の名誉市民に推挙された。05年に九谷焼技術保存会(石川県無形文化財)会長、07年1月に小松美術作家協会会長、同年3月に財団法人石川県美術文化協会名誉顧問に就任。海外展への出品も多く、91年に国際文化交流への貢献が認められ外務大臣より表彰された後も07年の大英博物館「わざの美 伝統工芸の50年展」にともなって「私の歩んだ道」と題する記念講演を行うなど最晩年まで貢献を続けた。没後の10年7月22日から9月6日に石川県立美術館で「特別陳列 徳田八十吉三代展」(同館主催)、11年1月2日から12年1月29日に横浜そごう美術館、兵庫陶芸美術館、高松市美術館、MOA美術館、茨城県陶芸美術館、小松市立博物館、小松市立本陣記念美術館、小松市立錦窯展示館で「追悼 人間国宝 三代徳田八十吉展―煌めく色彩の世界―」(朝日新聞社・開催各館主催)が開催された。

出 典:『日本美術年鑑』平成22年版(473-474頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「徳田八十吉」『日本美術年鑑』平成22年版(473-474頁)
例)「徳田八十吉 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28465.html(閲覧日 2024-03-29)

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