馬場彬

没年月日:2000/03/19
分野:, (洋)
読み:ババ, アキラ*、 Baba, Akira*

 画家の馬場彬は3月19日午後10時、いん頭がんのため秋田市楢山本町の自宅で死去した。享年67。1932(昭和7)年6月22日、東京都新宿区上落合に生まれる。55年東京芸術大学美術学部洋画科を卒業。美術団体に属すことなく、55年に開設されたサトウ画廊の相談役を開設時からつとめ、56年の初個展から同画廊で多くの個展を開催して作品を世に問うた。60年第12回読売アンデパンダン展に「作品(肖像の主題による)」を出品。同年神奈川県立近代美術館で開催された第4回シェル美術賞展に油彩画の「作品No.1」「作品No.2」「作品No.3」「作品No.4」を出品し3席となり、62年第5回同展(東京日本橋白木屋)では1席となる。同年集団αを結成しその第1回展を開催する。集団αは翌年に第2、3回展を開催した後、解散となる。67年第9回日本国際美術展に「館」を出品。74年サンパウロで行われた「コスモス«セリグラフによるイメージの実験»展」、77年モスクワ国際美術展に出品するなど、国際展にも参加した。80年横浜市民ギャラリーでそれまでの画業を跡づける「馬場彬展」を開催。81年東京国立近代美術館で開催された「1960年代-現代美術の転換期」展、および同年東京都美術館で開催された「精神の幾何学」展に出品。その後、すい臓ガンにより手術を受け、余命の限られていることを知らされるが、84年に心機一転して当時の西ドイツに渡り、86年までケルンに滞在する。帰国の年、東京のMギャラリーで個展を開催して滞欧作を発表。88年には池田20世紀美術館で「馬場彬の世界展」が開催され、80年の「馬場彬展」以降の作品を中心とする大規模な展観がなされた。年譜は同展図録に詳しい。初期から、平板な色面の幾何学的形体をモティーフに色と形が画面に作り出す調和、均衡、動きを模索し、吉仲太造、深沢幸雄らとともに戦後の抽象絵画の主要な作家のひとりとして活躍した。画集に版画集『PINK & GRAT』(75年)、版画集『GRAY OF GRAY』(81年)などがある。

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出 典:『日本美術年鑑』平成13年版(231頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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