吉仲太造
前衛芸術家として常に実験的制作を行なってきた吉仲太造は、7月26日午前3時40分、食道静脈りゅう破裂と肝硬変のため東京目黒区の東邦大学医学部付属大橋病院で死去した。享年56。昭和3(1928)年11月8日京都市に生まれ、京都の行動美術研究所に学ぶ。同21年第1回行動展に出品。同26年同会会友に推され、同28年第8回展に「作品A」「作品B」「作品C」を出品して行動美術賞受賞。同29年瀧口修三の選考による初個展を開催。翌年岡本太郎の招きにより行動美術協会を退会して二科会会友となり九室会に参加する。同31年神奈川県立近代美術館「今日の新人」展に「白い物体」「いきものK」を出品。32年世界今日の美術展に「作品6」を出品する。同36年岡本太郎とともに二科会を退き、以後団体に属さずに独自の活動を展開。同36年国立近代美術館の「現代美術の実験」展、40年の「今日の作家」展(横浜市民ギャラリー)、「現代美術の動向」展(京都国立近代美術館)などに招待出品。同41年朝日秀作展に出品。同43年第8回現代日本美術展に「真昼のエロス」「昼間の改惨」を出品。同49年第11回日本国際美術展に「空白」を出品する。同50年横浜市民ギャラリーに於て「吉仲太造55-75」展を開催。晩年はモノトーンの表現の可能性をさぐり同56年個展「非色の逆説」を開催した。代表作に「生きものK」「生きものH」「地球人」「窮鼠」「カルナー」「死の売り声」「或る時空間」などがある。
出 典:『日本美術年鑑』昭和61年版(255頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「吉仲太造」『日本美術年鑑』昭和61年版(255頁)
例)「吉仲太造 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10089.html(閲覧日 2024-10-12)
例)「吉仲太造」『日本美術年鑑』昭和61年版(255頁)
例)「吉仲太造 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10089.html(閲覧日 2024-10-12)
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