齋藤明 (さいとうあきら)

没年月日:2013/11/16
分野:, (工)

 鋳金で重要無形文化財保持者である齋藤明は11月16日、老衰のため死去した。享年93。
 1920(大正9)年3月17日、東京都西巣鴨に鋳金家齋藤鏡明の長男として生まれる。鏡明は佐渡出身で、佐渡の本間琢斉に学び、1909(明治42)年頃に東京に移り巣鴨に工場を設立している。1935(昭和10)年、父に鑞型鋳造の技法を学んだが、38年、18歳の時父が急逝し、鋳物工場を引き継いだ。この工房には佐々木象堂、2代宮田藍堂ら蠟型を得意とした佐渡の鋳金家が冬の間制作場としたため、彼らから技術指導を受ける機会に恵まれた、50年、高村光太郎の弟で鋳金家の高村豊周に師事し、豊周が72年逝去するまでその工房の主任をつとめた。工房では高村光太郎の彫塑原型のブロンズ鋳造を多く手掛けた。豊周に師事した年、第6回日展に「鋳銅」蝶両耳花瓶」を出品し初入選した。68年、第13回日本茶器花器美術工芸展で青銅大壺「跡」で文部大臣賞を受賞した。73年、浅草寺五重塔の建立にあたって、塔納置の舎利容器を制作する。75年、日本伝統工芸展に「蠟型朧銀流水壷」を初出品、初入選し、以後日展から伝統工芸展に移った。87年、第17回伝統工芸日本金工展に「蠟型朧銀花器」を出品、東京都教育委員会賞を受賞する。1993(平成5)年、国の重要無形文化財保持者に認定され、95年勲四等瑞宝章を受章した。
 作品は縄文や弥生土器にみられえるような装飾性を抑えた簡素な造形を好み、日展時代には四分一や青銅、緋色銅を用いた作が多いが、伝統工芸展で新たに吹分(ふきわけ)の技法を発表する。吹分は、青銅に真鍮、青銅に銅など異なる金属を鋳型に流し込んで、色彩的な変化を付けるとともに、その境界の金属の交じり合う微妙な融合の美を追求したものので、明治時代以前には全くなかった技法である。日本鋳金家協会顧問・東京芸術大学美術学部非常勤講師なども勤め、金工界にも尽力した。

出 典:『日本美術年鑑』平成26年版(470頁)
登録日:2016年09月05日
更新日:2019年02月13日 (更新履歴)
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