川口衞

没年月日:2019/05/29
分野:, (建)
読み:かわぐちまもる

 構造設計家、川口衞構造設計事務所主宰、法政大学名誉教授の川口衞は5月29日死去した。享年86。
 1932(昭和7)年、福井県福井市に生まれる。55年に福井大学工学部建築学科を卒業、同年東京大学大学院数物系研究科建築学専攻に進学、57年に修士課程を修了した後、60年からは法政大学工学部建築学科において講師(後に助教授、教授)に就任し、2003(平成15)年に退任するまで長きにわたって教鞭を執った。また、64年からは川口衞構造設計事務所を主宰し、我が国の建築構造設計の第一人者として国内外を問わず様々な作品を残している。
 川口は、シェル構造、テンション構造、スペースフレームなど様々な手法による大空間の構築に関して探求を続けたことでよく知られている。そうした中で最も知られている作品は、国立屋内総合競技場第一体育館(現、国立代々木競技場、1964年)であろう。建築家丹下健三と構造設計家坪井善勝がコンビを組んだこの大作において、川口は東大坪井研究室の一員として、代々木競技場のデザインを特徴づける屋根の構造等を担当している。その後は自らの構造設計事務所の業績として、日本万国博覧会お祭り広場大屋根(1970年、建築設計は丹下健三)、日本万国博覧会富士グループ館(1970年、建築設計は村田豊)、西日本総合展示場(1977年、建築設計は磯崎新)、バルセロナ・オリンピックのために建てられたサンジョルディ・スポーツ・パレス(1992年、建築設計は磯崎新)等を手掛け、構造設計者として世界的な名声を確立した。
 また、海外でも数多くの作品を残し、国際シェル・空間構造学会会長(2000~06年)を務め、また01年には同学会のトロハ・メダルを受賞するなど国際的にも広く知られている。後年には木構造も多く手がけたほか、ゲノム・タワー(2002年)のように構造デザインの粋というべき作品を残している。こうした幅広い業績に対して、「シェル・空間構造の設計法の確立と構造に基づく建築デザインに関する貢献」として、日本建築学会大賞を受賞している(2015年)。
 彼は、建築構造と造形の関係性を追求し、富士グループ館のように空気膜構造というそれまでにない構造手法を切り開いたほか、サンジョルディ・スポーツ・パレスに代表されるパンタドーム構法のように「つくり方」も含めたデザインも行なった。このように、様々な著名建築家と協働しつつ、単に建築設計者が構想したデザインを構造的に実現するという範疇を超えて、構造設計家としての独自の地位を確立したことに、川口の最大の功績があったというべきであろう。

出 典:『日本美術年鑑』令和2年版(491頁)
登録日:2023年09月13日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「川口衞」『日本美術年鑑』令和2年版(491頁)
例)「川口衞 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/2041016.html(閲覧日 2024-04-28)

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