黒崎彰
版画家の黒崎彰は、5月14日、死去した。享年82。職人との協働という浮世絵の伝統を復活させ、様々な手法によって「版」の魅力を追求した黒崎は、現代日本を代表する版画家として「北斎の孫」とも呼ばれた。
1937(昭和12)年1月10日、満州国の大連に生まれる。翌年、母とともに帰国し神戸に住まう。中学生の頃より芦屋市の新制作洋画研究所で伊藤継郎、小磯良平にデッサンや油彩画の指導を受けたのち、京都工芸繊維大学意匠工芸学科に進学。在学中は古書店通いに明け暮れ、浮世絵の魅力に開眼する。62年、京都工芸繊維大学を卒業。65年、初個展開催(ギャラリーカワチ、大阪市)。出品作品はパステルと油彩画であったが、開催直後に友人の詩集の表紙を木版で作ったことをきっかけに、版画家となることを決意する。京都の擦り師達から技法を学び、モノクロームから色を重ね刷りする重層法、色数だけ版をつくる分解法へ進み、色面をダイナミックに対比させる作風に至る。67年、第41回国画会展新人賞受賞。69年、「寓話69」が文化庁買い上げとなる。71年から、摺り師の内山宗平との協働による制作を始める。
70年に第3回クラコウ国際版画ビエンナーレで3席、メダル賞、ワルシャワ国立美術館買上賞を受賞。同年、第7回東京国際版画ビエンナーレで文部大臣賞受賞。国際展への出品と受賞を重ね、73年のワシントン州立大学での指導以降、各地で講演・技術指導を行う。73~74年、文化庁在外芸術家研修員としてハーバード大学、ハンブルク造形芸術大学に派遣され、映像、写真製版の使用といった新たな手法を学ぶ。また西洋の多色木版画に触れたことを契機として版画史研究に取り組み、『版画芸術』誌上で「西欧多色木版画研究序説」(1976~79年、全10回)を連載。『世界版画全史』(阿部出版、2018年)はこうした版画研究の集大成といえる。80年に韓国に赴き、同地の手漉き紙を知ったことから紙そのものによる表現を追求したペーパーワークの制作を開始する。82年には自らキュレーターを務めた「現代紙の造形・韓国と日本」展を国立ソウル近代美術館で開催した(翌年京都でも開催)。また1992(平成4)年にムンク美術館の助成を受けてオスロ―に滞在し、ムンクの使った和紙について研究した(「Moonshine 月光―E.ムンクの色彩木版画における用紙について―」『京都精華大学紀要』4、1993年)。著書(単著)に『アートテクニック・ナウ13 黒崎明の木版画』(川出書房新社、1976年)、『新技法シリーズ56 現代木版画』(美術出版社、1977年)、『日本の工芸8 紙』(淡交社、1978年)、『新技法シリーズ152 現代木版画技法』(美術出版社、1992年)、『木版画に親しむ』(日本放送出版協会、1993年)、『版画史解剖―正倉院からゴーギャンへ―』(阿部出版、2002年)、『世界版画全史』(前掲)など多数。また2006年に当時までのカタログレゾネとなる『黒崎彰の全仕事』(阿部出版株式会社)が出版される。
63年から71年まで近畿大学建築学科講師、71年から京都工芸繊維大学講師、助教授を経て81年より同教授。83年、ハーバード大学客員教授、ボストン美術館大学客員講師。87年より京都精華大学美術学部教授。2000年紫綬褒章受章。
登録日:2023年09月13日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「黒崎彰」『日本美術年鑑』令和2年版(489-490頁)
例)「黒崎彰 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/2041006.html(閲覧日 2024-10-07)
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- ■美術界年史(彙報)
- 1970年08月 第14回シェル美術賞
- 2000年11月 秋の褒章受章者
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